明治時代の日本に変革をもたらした大きな出来事とは?

画像c The New York Public Library, 2016

明治時代がどんな時代だったかを端的に言うと、2つの大きな特徴があげられます。

今回は明治時代の大きな出来事を、2つのキーワードからご説明します。

スポンサーリンク
meiji-jidaiレクタングル大

明治時代は「文明開化」の時代

明治時代は日本の歴史が短期間に大きく変わった節目の時代でした。

江戸時代の長かった鎖国の時代が終わり、明治政府は西洋の文化や制度を積極的に取り入れる「文明開化」を通じて日本の近代化を進めたのです。

「大日本国憲法」をはじめとする法による国家運営、藩を廃して県を置く「廃藩置県」、また税制や教育・郵便などの制度を制定したりと、現代の社会の基礎は明治時代の「文明開化」によって作られたものと言っても過言ではありません。

国を近代化し富ませることが急務になったのは、西洋の国々の「帝国主義」の影響です。

帝国主義の西洋の国々は、近代化していない地域を支配し属国あるいは植民地にして自国の利益にする方針なので、明治政府の高官たちは日本を近代化しないと国そのものが危ういと判断したのです。

西洋の国々と対等に渡り合うためには、「富国強兵」政策が必要だったのです。

「大きな戦争」が何度も起こった明治時代

明治初期には幕末から引き続いた新政府と旧幕府軍との政治的騒乱が数多く起こり、紀尾井坂の変で内務卿・大久保利通が暗殺されるなど、明治政府が確立するまでの日本は動乱の時代を経てきました。

幕末は、開国した日本のことを真剣に考える人物たちが、それぞれの信念に従って争った時代でした。

誰もが日本の将来を憂い、そして良い方向に向かわせるための戦いとはいえ多くの命が犠牲になってしまったことは残念です。

そして日清戦争・日露戦争という二つの大きな出来事である戦争が起きたのも明治時代でした。

日清戦争は、朝鮮半島の支配をめぐり現在の中国である清(しん)と戦い、その結果朝鮮半島における優位な立場や賠償金、そして中国領の一部を手に入れる「下関条約」を締結しました。

そして日露戦争は、旧満州(中国東北部)の支配をめぐってのロシアとの戦いです。

その結果、日本に有利なポーツマス条約を結び、日清・日露戦争との間には、当時世界の強国であったイギリスと日英同盟を結びました。

明治時代の後半には、それまでの治外法権はなくなって、関税の自主権をも手に入れ、日本は更に飛躍したのです。

しかし戦争では多くの尊い人命が失われ、日本に対する抵抗は長期間にわたって続き、現在でも外交関係に微妙な影を落としています。

明治時代の明と暗

明治時代は文明開化という大きな出来事を経て、日本は近代国家としての基礎を固めました。

諸外国の文化を取り入れて、より豊かにより便利になった事は間違いありません。

しかし、一方では天皇に権力が集中し、国民の権利はまだまだ限られていました。

政治を動かす側の人の多くは、旧幕府を倒し新政府を立ち上げた薩摩・長州・土佐などの各藩出身者で、急速な工業化は人々に貧富の差を生み出します。

また、女性に選挙権はなく、男性も税金を納めた額で選挙権が認められるなど、民主的な国家とは言えない状態でした。

明治時代が始まった1868年から約150年たった現在、もう一度近代日本の始まりを見直すのも、これからの日本には大切なことなのではないでしょうか。

スポンサーリンク
meiji-jidaiレクタングル大
meiji-jidaiレクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする