明治時代に日本が領土拡大した理由とは?

明治時代k (8)
明治維新が起こり欧米諸国の文化や思想、制度など様々な新しいものを輸入していく一方で日本は領土拡大を目指しながら日本を近代国家にするべく進んでいきます。

日本はなぜ領土拡大が必要だったのでしょうかでしょうか。

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理由その1:資源の調達

日本が領土拡大を進めた大きな理由としては資源の調達が考えられます。

日本が受給率100%で自国でまかなえていたのは明治維新直後の人口が3500万人程度の時期であり、その後欧米諸国から多くの外国人が滞在したり日本の人口が増えたことで徐々に自国だけでは賄えなくなり食糧難に陥っていきます。

明治時代に入ってそれまで米の形で年貢として税金を納めていたのが土地に税をかける地租改正に変化したことや不作や凶作によって受給率が安定しないなどの理由から、食料供給を安定させるためにも領土拡大をする必要があったと言えるのです。

日清戦争によって台湾を植民地化することに成功し、同じく属国として朝鮮は朝鮮米の大生産地であったとされています。

明治時代に入って増加した国民のお腹を満たすためにも領土拡大が植民地獲得競争時代を生き抜くための明治時代のすべだったのかもしれません。

理由その2:「脱亜入欧」という考え方

結果的に朝鮮も植民地化し支配国にすることになった日本ですが、明治時代当初は全く別の考えを持っていたとされています。

日本は開国当初、明治時代中国であった清国と朝鮮と協力体制を築き、アジアの団結を図ることでヨーロッパやアメリカに肩を並べ対抗できるだけの国力を目指していたのです。

また、そうすることによって自国を欧米諸国の脅威から守ろうとも考えていたとされています。

しかし、それに対し中国や朝鮮の反応は非常に冷ややかなもので、明治政府が同盟のために朝鮮に使節を送った際に、洋装の日本人を見て「西洋の服を着るという恥ずかしい行為をやめるのであれば考えて良い」などと嘲笑したとされています。

清国や朝鮮は日本ほど欧米列強の脅威を感じておらず危機感も全くなかったとされています。

そのため、明治当初に考えていたアジア団結という志は実現不可能であることが分かり諦めたのです。

理由その3:欧米諸国からの防衛のため

朝鮮や清国と同盟を結び欧米列強の脅威に対抗するという夢ははかなく消えたものの、だからと言って朝鮮や清国のように何もしないというわけには行きません。

明治時代当時の日本は、極東に残された神秘の国であり、欧米諸国は日本を何とか支配下に入れたいと考えていたため、油断すればどこかの属国となってしまうことは目に見えていました。

ただ、アジア周辺の国々と協力して自国を守るという夢はついえたわけですから、日本一国だけでも何とかしようと領土拡大することで欧米からの侵略を回避するために「脱亜入欧」という考え方にシフトしていったとされています。

日本一国で自国を防衛していくためには、軍備を整えて領土拡大していく必要があり、そのためにも戦争で領土を勝ち取ることが結果的に自国を守るために役立つと考えていたとされています。

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