明治時代の日本はイギリスにプロデュースされた?

明治時代k (14)© The New York Public Library, 2016

ビートルズにローリングストーンズ、アフターヌーンティなど日本に入ってきているイギリスの文化は様々ありますが、明治時代の日本とイギリスの関係はどのようなものだったのでしょうか。

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イギリスは江戸時代からすでに日本が近代化することを画策していた?

すでに江戸時代において薩英同盟を結んでいたイギリスはどちらかと言えば江戸幕府寄りではなく倒幕側の支援を考えていたとされています。

江戸時代にペリーが来航しアメリカが日米和親条約を強引に締結させている一方でイギリスも静かに長崎港に入港し日英和親条約を締結して徐々に日本への進出を進めていきます。

その後、1858年に米、英、仏、蘭、露の修好通商条約が締結され、日本と五か国の間に立ち交渉を履行する際にアドバンテージを取ったとされるのがイギリスです。

その当時、イギリスの駐在行使であったハリー・パークスは、幕府側と交渉を続ける一方で、薩長と同盟を締結し、日本人の手による倒幕と天皇政府樹立を目指し徳川家茂が病死した後に情報を収集し倒幕と日本の近代化に向けての政変の舵取りを進めていきます。

実は、日本が明治維新によって近代化することはイギリスにとっても都合がよかったのです。

なぜイギリスは日本に開国させて近代化を進めたの?

覇権争いを繰り広げている各国列強にとって日本は極東に存在する未知なる国であり、また近代的な都市が築かれ商工業もある程度盛んだったことから開国させ通商関係を結んだ上で自国の利益や支配下に置きたいと考えていました。

もちろん幕府との交渉もけいぞくしていたものの、頭が固くすでに政権としてはあまり機能していなかった幕府側に見切りをつける事件が起きます。

生麦事件は、イギリスにとって幕府に疑問を持つ事件となり、薩英戦争によって薩摩藩の存在を認めざるを得なくなり、倒幕して近代化を図るために薩摩藩を利用することを考えたのです。

薩摩藩自体も、イギリスの兵力や最新兵器の威力を目の当たりにして、これは手を結んだ方が得策ではという考えに至るようになります。

イギリスにとって、天皇の勅許がなければ何もできない幕府よりも打てば響く反応をする薩長の方が政権を牛耳るのにふさわしいと考えたことが明治維新に向けてイギリスが倒幕に向けて薩長を手助けをした大きな理由とされています。

坂本龍馬が薩摩と長州を結び付けて同盟をさせ明治維新が起こったと考えられがちですが、実は陰でイギリスが操り政変を起こしたという事実を隠蔽するために坂本龍馬がうまく利用されたにすぎないのです。

イギリスが政変を誘導した証拠とは

イギリスの思惑通り日本人による政変が行われ明治維新が起こり、近代化への道を進むこととなった日本ですが、ここにやはりイギリスに操られていたのではと考えさせられる証拠があるのです。

明治時代に入り、近代国家を作るにあたってモデルにしたのはイギリスだとされているからです。

もちろん、イギリスが明治時代当時政治や経済、文化や制度において非常に参考となる模範国として成熟していたということも理由となりますが、二院制の議会政治や郵便制度、都市における地下鉄の整備や鉄道など、今日私たちが当たり前のように利用している施設や制度はほとんどイギリスを模倣したものであり、あらゆる分野においてイギリスを参考にしていることから、やはり明治時代における文明開化もイギリスのプロデュースによるものだったのではないかと推測できます。

ただ、一方でイギリスの立憲君主制があまりにもすごすぎて参考にできず、明治憲法などは日本の国情とよく似ていたプロイセンを参考にして作られているところもありますが、道路において車が左側通行なのもイギリスを参考にしたためと言われています。

そして、幕末の日本における、日本の貿易シェアを日本が50%に対しイギリスが75%もシェアしていることを考えると、やはり明治時代の日本はイギリスに操られていたと考えて良いと言えるでしょう。

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