画像c The New York Public Library, 2016
鎌倉時代から続いた武士の世界を諸外国と同等の近代国家体制とするため、明治時代に3大改革がなされています。
既得権益をもつ組織や人を改変し、新たな仕組みを作り出すことは、熾烈な状況が推測されます。
今の国会議員が所属する党内や派閥、他党などと、さまざまな舌戦を繰り広げても、なかなか変わらない世の中の風景をみても、江戸時代から明治時代への変化がいかに劇的なものかがわかります。
そんな変化を生み出した明治時代の3大改革の目的、生み出された状況や影響などについて紹介します。
明治時代の3大改革が実行された経緯や背景は?
戊辰戦争に勝利した明治新政府によって新たな国家体制を構築し、明治時代を生み出しています。
そんな明治新政府は、それまでの藩による統治機能を廃止するため「廃藩置県」を実行し、役割を分担させる仕組みで近代化の足がかりにしています。
「廃藩置県」の後、明治新政府は、岩倉具視らを大使とした「海外使節団の派遣」と三条実美や西郷隆盛らを中心とした日本国内の改革に取り組む「留守政府」のふたつで、それぞれの改革に臨んでいます。
「岩倉使節団」は、それまで結んでいた欧米諸国との不平等な改正交渉にあたり、近代国家の制度や文化も取り込もうとしています。
「留守政府」は、日本を近代国家として生まれ変わらせるための「学制」「徴兵令」「地租改正令」の3大改革を実行しています。
いずれも、身分の違いによる意識を変え、日本をひとつの「国家」として国民全員が支えるための基盤を築き、「近代国家」にするためです。
明治時代の3大改革のそれぞれの目的や影響は?
明治時代の3大改革は、明治新政府の「留守政府」が主導し、「廃藩置県」が完了された後に実行されています。
それまでの身分制度による意識差を、民衆に「国家を支える国民」という意識に変えさせ、知識の底上げを図り産業を発展させるために、「学制」が実施されます。
「学制」により、満6歳以上のすべての国民が小学校で教育を受ける義務が課され、教育水準の向上につながりますが、費用負担に不満を抱いた一揆が起きています。
そして、藩の武士らが担ってきた戦の要員も、「国家」の有事などに人員を確保するため「徴兵令」によって、二十歳以上の男子が3年間兵役に服するとされ、国民皆兵が原則とされています。
農家の若い人材を兵役にとられ、税金も徴収される負担から、「血税一揆」が起き、反発も生み出しています。
さらに、明治新政府の税収を安定させるため、それまでの耕作地での収穫量に対する年貢の制度ではなく、土地を検査し算出した「地価」に応じて現金で納税させる「地租改正」が実施されています。
「地価」の3%の税率で徴収された税金によって、新政府は計画的な予算が組めるようになりますが、それまでの土地に対する封建的領有制や現金での納税に対する不満から「反対一揆」が起きています。
近代国家の基盤をつくった明治時代の3大改革
「教育」「軍事」「税」といった三つは、今も国会や選挙などで度々争点に挙げられ、近代国家には欠かせません。
そんな近代国家の基盤ともいえる「学制」「徴兵令」「地租改正」といった3大改革は、明治時代の新政府によって構築されています。
それらの改革は、「廃藩置県」の完了によって施行を可能にしています。
それぞれの改革は、それまでの価値観や生活を一変させ、一部では一揆などの反発も生み出しています。