© The New York Public Library, 2016
警察は私たちが生活していく上で安全を守る役目であるとされていますが、近年は事件や不祥事などが多いことから昨今の警察に対して不信感を抱える人も少なくないとされています。
明治時代の警察はどのように出来上がって、どのような人々が警察の職についていたのでしょうか。
今で言う交番や駐在所ができたのも明治時代
明治時代以前には地方及び東京の治安は各藩ごとに府藩兵によって保たれていましたが、警察の創設にあたって司法省が設置されその当時は司法省が警察の管轄に当たっていたとされています。
明治4年には現在の警察官である羅卒を3000人採用し、その後明治7年に日本で初の警察組織が結成され、首都警察として東京警視庁が設立され、初代警視総監を務めたのは薩摩藩出身で陸軍大将でもあった川路利良であったとされています。
初期の警察幹部には薩摩藩の出身者が多く川路利良もその一人だとされていますが、その後巡査などの採用には茨城県出身の人が多かったようです。
また、いわゆる今の交番や駐在所が設置されたのも明治時代であり、その当初は現在の交番のように巡査が常に常駐しているというスタイルではなくあくまで巡査が活動する場所であり、現在の警察署である屯所に一旦出勤した後にそこから交番所まで行ってパトロールをしていたようです。
東京警視庁が交番所の施設を設置することを決定した後にはそこを拠点にパトロールに向かうようになり明治14年には交番所から派出所という名前に変わっていきます。
明治時代の警察はなぜサーベル?
現在は警官が所持しているのは警棒や手錠などの他に拳銃が装備されていますが、明治時代当初の警察の持ち物といえばサーベルでしたが、その理由としてどんなことが考えられるのかご存知でしょうか。
その理由に関してはいくつかの説があるとされており、まず一つは明治初期には足軽刀を改造して作られたためにサーベルは大量に配備できたことと、それ程まだ犯罪が多くなかった時代だったこともあり拳銃が必要なかったとされているのも理由の一つだとされています。
また、諸外国の警察の武装がサーベルであったことを真似たという理由もあったようですが、これは明治時代のもっともらしい理由ともいえるでしょう。
その他には、当時の警察は警官の質が良くなく、柄が悪かったり野蛮な輩もいたために拳銃を所持させることが不安であったという理由もあるようです。
ちなみに、郵便強盗に対処するために郵便配達夫も拳銃の所持を許されていたようです。
明治警察には士族出身者も多かった?
明治時代当初の警察の質はあまり高くなかったと言われる一方で、実際には士族の採用も多かったとされています。
当時の警察は拳銃の所持が少なかったとされており、実際に悪者を捕まえるときに丸腰状態で戦うわけですから、サーベルや刀剣で格闘することに長けていた士族の方が警察の業務上役立ったことが背景にあったようです。
格闘に関しても捕手術や柔術などに優れ読み書きに関しても100%教育を受けていたために、新たに平民から警察官を採用するよりも都合が良かったと言えるでしょう。
士族においても、廃刀令や秩禄処分などでことごとくプライドを消失していたこともあり、給料は安くても安定していることと名誉や体裁のために警察となることはむしろ好都合であり、ようするに明治政府にとっても士族にとってのお互いにメリットがあったために警察官には士族の登用が多かったとされているのです。