明治時代の郵便制度はどこの国を参考にした?

c The New York Public Library

明治時代は、文明開化の幕開けとともに変わっていったものは数多くありますが、その一つが郵便制度です。

明治時代にどのように変わり、今現在の形となっていったのか考えてみましょう。

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世界の郵便制度の先駆けはイギリスだった

江戸時代までは、郵便と言えば飛脚が重要な郵便手段とされていました。

戦国時代までさかのぼると、家臣を使者に立てて連絡先まで赴いてもらうのが常であり、重要な連絡ごとや急用な場合には足の丈夫な武士に任せていたとされています。

テレビや映画の時代劇でもよく見かける光景ではないでしょうか。

つまり、今のようなポストに投函する制度はなかったわけですが、ではなぜ現代の日本は投函型の郵便制度となっているのかというと、日本がその制度を真似た国が投函型だったからと言えます。

世界的な郵便制度の先駆けとなった国は、イギリスでした。

1840年にイギリスで始まったのが、切手を貼ってポストに投函すると必ず相手の住所に届く「ポスト投函制度」と、「均一料金制度」で、日本もその制度を真似たからこそ現在も投函型の郵便制度となっているのです。

「郵便の父」、前島密

1円切手を購入したことのある人はご存知かもしれませんが、1円切手に印刷されている人こそ「郵便の父」と呼ばれた前島密です。

イギリス留学をした彼はイギリスの郵便制度に目を付け、日本でもこのような制度を確立できないものかと尽力を尽くします。

そして明治4年に、日本で初めての郵便制度の開始が始まります。

東京~大阪間で始められたその郵便制度ですが、明治時代当初は東京と大阪間の郵便にかかったのは何と3日と6時間もかかったとされています。

現在は宅急便なども頼んだその日に来るものも多く手紙に至っては速達なら場所によっては1日かからないで着くこともあることを考えると信じられないですね。

〒マークの由来

住所を書いて郵便番号のところにある〒マーク、なぜこの「〒」なのかご存知の人はどれくらいいるでしょうか。

諸説あると言われていますが、実は明治時代のあることが関係してこのマークになったと言われているのです。

明治時代、郵便の仕事をしていた場所は「逓信省(ていいんしょう)」とよばれていたところでした。

その頭文字である「テ」をヒントに「〒」マークが作られたとされています。

また、現在の郵便はがきのサイズは10cm×14.8cmが基本ですが実は明治時代の郵便制度創業当初は色々なサイズのはがきがあり、徐々に統一されて現在のサイズになったと言われています。

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