明治時代にはその時代の人しかわからない特殊な日本語があった?

c The New York Public Library

同じ日本なのですから、明治時代も今と変わらない日本語が使われていたと考えるのは当然のことなのですが、実は、明治時代にはその当時の人たちにしかわからない特殊な日本語があったことをご存知でしょうか。

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最後の将軍徳川慶喜も困っていた?日本語がバラバラだった説

現在でも地方に行くとその土地の方言などが理解できずに困る、という経験をした人も少なくないと思われますが、明治大以前も実はそのことに困っていた人物がいます。

それは、江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜です。

彼は大政奉還を行うことで血を流さずにその流れを変えた人物の一人であり、非常に様々なことに長けた人でもありましたがただこの徳川慶喜も言葉には苦戦していたとされているのです。

明治時代が始まる江戸時代、標準語として採用されていたのは江戸の言葉でありほとんどの上級武士たちは江戸の言葉を利用していました。

しかし、幕府を崩壊の道に導き明治維新を起こしたのは、薩摩藩の西郷隆盛や土佐藩出身の坂本龍馬を始め、地方の武士たちが中心となっていました。

武士であったものの、そもそも江戸の言葉を使っておらずその土地の言葉で普通に話していた彼らとは、そもそも使う言葉が違っていたとされており後に徳川慶喜が書いた回想録には薩摩の人に会った際に話が全然通じずに困ったことを記しています。

現在も青森や岩手出身者がその方言を用いて話をしても東京の人は全く理解できないのと同じように、明治時代も同じく苦労があったことが伺えます。

明治維新がなければ国語は生まれなかった?

明治時代に入ってもしばらくは日本語はバラバラなままだったとされており、同じ日本人なのに日本語が通じないで悪戦苦闘する場面も何度もあったようです。

これから欧米に対抗して日本も近代国家としてやっていく以上、日本語がバラバラの状態ではそれぞれに意思の疎通ができずに欧米列強に植民地化されるのも時間の問題です。

そうならないためには、軍事力や技術を身に付けるだけでなく日本人同士がしっかりとコミュニケーションを取れるように日本語を統一していく必要があることに気づいたのです。

そこで、まずは子供の教育から変えていくことを目指し明治5年の小学校制度を整えていきます。

その当時、日本には下町言葉と山の手言葉という二つの言語がありましたが、スタイリッシュで洗練された山の手言葉を日本語の標準と定めるようになり、地方出身者も山の手言葉を使うようになります。

それは、現代の日本でも地方出身者が上京して東京の言葉に慣れて変えていくのと似ていますよね。

日本語における大きな大革命があったって本当?

西洋の文化や言葉が入ってきたこともあり、外国語と日本語を織り交ぜて話す人が激増したことから、これではいかんと福沢諭吉を始めとする文学者たちは様々な造語を作り始めます。

「野球」「自由」「民主主義」「聴診器」などは明治時代に作られた造語であったとされています。

そして、日本人が作った和製英語は中国などに逆輸入されていったのです。

現在も草食男子や婚活など様々な造語を作り出している日本ですが、明治時代は新しい文化の風に乗って数多くの造語が生まれた時代でもありました。

そしてその時、日本人は初めて日本独特の新たな言語の違いに気づきます。

英語などの西洋の言葉が書き言葉と話し言葉が同一であるのに対し、日本語は書き言葉と話し言葉が全く別物であったことに改めて気づき、「言文一致運動」が始まり中国から文字が入ってきて2000年、初めて日本語の書き言葉と話し言葉が統一されたのです。

この運動が起こらなければ、日本は今のような近代国家になることはなかったかもしれないと思うと、歴史の中でのその改革や気づきというのはなくてはならないものであったのかもしれません。

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