明治時代に盛んだったお雇い外国人とは?

c The New York Public Library

最近では観光に訪れる数多くの外国人を見かけることが多くなりましたが、明治時代にはお雇い外国人という政府お抱えの外国人がいたことをご存知でしょうか。

彼らは日本においてどんなことをしていたのでしょうか。

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お雇い外国人ってどんな人たち?

明治維新の起こった日本を近代化に導くためには、ただ単に西洋の真似をしたり異国の輸入品を手にするだけではなく、西洋から様々な技術を学んで活かしていくことが必要であったとされています。

日本人が渡米して海外で学ぶこともありましたが、それでは一部の人だけしかその技術を学ぶことが出来ません。

そのため、明治政府は西洋からそれぞれの専門家を多く招き入れ、たくさんの人にその技術や知恵を学んでもらうべく技術指導を担う外国人を雇ったのです。

それがお雇い外国人であり、お雇い外国人の多くは欧米人だったとされています。

明治維新後の日本を近代化に導き、各国列強と肩を並べるために力を尽くしてくれた彼らは、明治時代において重要なわき役たちだったのです。

日本に帰化した小泉八雲は実はお雇い外国人だった?

小泉八雲と言えば、「耳なし芳一」や「雪女」など、日本古来のおどろおどろしい怖い話をつづった「怪談」の作者として知られている作家ですが、実はこの人こそそもそもはお雇い外国人であり、その後の日本人女性と結婚して日本に帰化した人物です。

新聞記者として来日したラフガディオ・ハーンは、日本の魅力に引き付けられて改めて英語教師として島根県松江の中学校に来日した後、今度は松江の街並みに魅了され明治29年に日本に帰化し、妻の旧性である小泉という名字と、「出雲国」にかかる枕詞である「八雲立つ」にちなんで「小泉八雲」という名前に名乗るようになり、「雪女」や「貉」などを始めとする「「怪談」を刊行します。

日本文化を徹底的に研究して書かれた彼の著作は、日本の古来の民俗を知る上でも貴重な材料であったとされています。

日本における数多くの世界遺産を築き発見したお雇い外国人たち

明治時代において非常に重要な役割を担っていたお雇い外国人たちは、現代の日本においても数多くの文化遺産や世界遺産となった場所を築いたとされています。

フランス人の船工、製図職工であったエドモン・オーギュスト・バスチャンは横須賀製鉄所に勤務したほかに富岡製紙工場の開業当初の主要建造物の設計を担当し、現在も神奈川県の外国人墓地に彼のお墓が眠っているとされています。

また、縄文時代の人々の暮らしを知る上で非常に重要な貝塚である大森貝塚を発見したのは、動物学者であり日本の研究のために私費で来日したエドワード・S・モースは文部省により東京大学の動物学・生理学教授就任を依頼されてお雇い外国人となった一人です。

汽車に乗っているときにこの大森貝塚を発見し、これが日本における考古学研究の最初の学術調査となったとされています。

このように、明治時代においてお雇い外国人の協力があったからこそ、日本はここまでの近代国家になることができたのではないでしょうか。

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