日本の貿易は明治時代、なかなかうまくいかなかった?

c The New York Public Library

日本にはすでに江戸時代から海外との貿易を始めていたものの、なかなか思うようにはいかなかったとされています。

日本の貿易は、明治時代にどのように進んでいったのか歴史を紐解いてみましょう。

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貿易のやり取りをする「商社」を作ったのは坂本龍馬?

商社とは、簡単に言ってしまうと取引する商品を手に入れてそれを海外に輸出したり逆に海外の商品を輸入する会社のことであり、今日もこの商社があるからこそ私たちの生活が成り立っていると言っても過言でもないのですが、その商社を最初に作ったのが坂本龍馬と言われています。

坂本龍馬は幕末に活躍した日本の偉人の一人ですが、勝海舟に学んだ航海術をもとに海外の国と日本の貿易を始めます。

その際に、「亀山社中」という外国と取引をする会社を作りますが、それが商社の始まりと言われています。

この亀山社中は、倒幕に向けて銃などの軍備がたくさん必要になった時に海外と取引をして最終的には軍艦まで用意し薩摩藩と長州藩を手助けすることになり、結果的に江戸幕府を倒すきっかけを作ることにもなったとされています。

なかなか思うようにいかなかった明治時代の日本の貿易

坂本龍馬のおかげで商社という、日本の貿易を行う会社の基盤を作ることが出来たわけですが、明治時代に入ってすぐに海外とスムーズに取引できたのか、と言ってもそうではなかったとされています。

明治時代に入り、日本は海外の珍しいものを数多く輸入しようとし、また自国のものを輸出しようとしました。

しかし、明治時代当初は日本に滞在していた外国人の承認が貿易を独占していたため、日本は思うように輸入や輸出することが出来なかったのです。

それまで入ってきた海外のものは外国人の商人が輸入したものであるため、日本が輸入できたのはほんのわずかであったとされています。

日本もアメリカやヨーロッパなどの各国列強に負けじと、近代化を目指すためにたくさんの工場を作るようになり、その工場で出来た商品を海外に輸出していきます。

その際にも活躍したのが、かつて坂本龍馬が基盤を作った「商社」だったのです。

商社と工場の関係が日本を豊かにした?

明治時代当時、日本の産業として栄えていたのは生糸であり、海外からも生糸や銅など日本のものを欲しがる国は数多くあったようです。

明治政府が考えたのは、日本のものを海外に輸出して日本を豊かにすることでした。

江戸時代から家内制手工業は続いていたものの、大量に生産してそれを輸出してお金を得ようと考えた明治政府は、手作業だけでなく機械を海外から輸入して効率よく生産することを始めます。

ただ、生糸を作るための機械を作る技術は日本にはなかったので機械を海外から輸入する必要がありますが、その際に海外との取引を受け取ってくれたのが商社でした。

そして、機械を導入することで生糸や綿糸の生産は大幅にアップしましたが、今度は機械を動かす電力がたくさん必要となります。

今度はその機械を動かす電力を確保するために発電所の発電設備も同じく商社が海外から輸入し、そこで作った生糸や綿糸もそれを買ってくれそうな国を探して取引をしてくれたのも商社でした。

つまり、日本の貿易は商社とその工場との密接な関係があった上で生まれ、日本の近代化を進める上で大きな礎となったのです。

坂本龍馬が海外とやり取りをする時に商社を作らなかったら、今日の近代化日本はなかったことを考えると非常に不思議な話ですね。

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