画像c The New York Public Library, 2016
いまの日本とアメリカは、経済・文化・政治・軍事などの広い分野で強い結びつきをもっていますが、その国交は「日米和親条約」に端を発しています。
幕末の江戸時代に突然現れたペリー率いる黒船が日本に開国を迫り、幕府が押し切られる形で不平等条約といわれる「日米和親条約」を締結します。
明治時代となり、近代国家体制を早期に構築しようとした新政府は、日本より進んだ社会システムはもちろん、さまざまな知識を知識を吸収しようと使節団を派遣したり、国対国の平等な関係を模索しています。
そんな明治時代の日本とアメリカの関係性を考えてみます。
明治時代に試みたアメリカとの不平等条約の解消
明治時代以前の日本は出島でのオランダや中国との交易はありましたが、国家間の外交は閉ざされた鎖国状態でした。
そんな鎖国状態の日本に突如蒸気船数隻で乗り込んできたペリーによって、日本とアメリカの関係が始まったといえます。
ペリーが突きつけた日本の開国要求には、日本での石炭積み込みや港湾の自由な使用許可を求めるような平和的な印象を受けさせるものでした。
しかし、実情はアメリカは日本を領土拡大政策のターゲットの1つとして乗り込んできたもので、浦賀の前に侵入した那覇港から琉球政府に対して行った要求に真意が読み取れます。
尊王攘夷と討幕に揺れる幕末の江戸時代にあった日本は、ペリーの申し出を受け入れ「日米和親条約」を締結しますが、その不平等な条約内容に明治時代になり解消しようとしています。
明治時代の使節団はアメリカを知り、対等な関係を築こうとした?
明治時代に入り、廃藩置県が完了した新政府は、国内を守る「留守政府」と岩倉具視や大久保利通らを中心に構成された「視察団」による海外対応のふたつが連携して行われています。
「岩倉使節団」は、アメリカとの不平等条約の改正と欧米諸国の社会制度やさまざまな知識の吸収を目的としています。
アメリカとの不平等な条約改正には至りませんでしたが、近代化を急速に進める日本に必要な知識を取り入れています。
明治時代に入り、日本とアメリカは良好な関係にあったといえますが、日清戦争そして日露戦争と国力を海外に示すうち、その関係性も一触即発ともいえる関係へと変化します。
明治時代の後半のアメリカとの関わりには、安保体制や自衛隊のあり方など防衛政策などに見直しを迫られる昨今の状況にも共通点があります。
明治時代の日本国内外に影響を与えたアメリカ
明治時代の日本は、幕末に突如現れたアメリカのペリー率いる黒船による開国要求によって、それまでの国内そして国外に対する国策の転換を余儀なくされています。
先進諸国とのさまざまな違いや遅れを取り戻すため、岩倉具視らを中心とした使節団が欧米に派遣され、社会システムやインフラなどの知識を吸収するだけでなく、不平等な条約改正も試みています。
アメリカとの不平等条約改正はできなかったものの、日露戦争終結頃までは良好な関係だったといえますが、その後の日本とアメリカの関係は危うさを増していきます。