明治時代における日本とアメリカとの関係性は?

明治時代k (40)© The New York Public Library, 2016

現在も日米関係は非常に難しく、TPP問題や沖縄における米軍基地問題などアメリカとの関係はバランスを保ちながらも複雑な関係と言えます。

では、明治時代における日本とのアメリカとの関係はどのようなものだったのでしょうか。

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不平等条約が問題視されたのは明治時代に入ってから?

江戸時代にペリーが黒船に乗ってやってきたのは、友好的に貿易関係を結ぼうとやってきたわけではなく、産業革命によって飛躍的に進歩したイギリスやフランス、ロシアなどと同じく日本を属国、あるいは植民地にして自国の発展をさらなるものにしたいという野望を抱えてやってきたわけです。

そんな中で締結されたのがいわゆる不平等条約と呼ばれるもので、治外法権や領事裁判権、関税自主権がないなどの日本が不利になる条約をアメリカだけでなくイギリスやフランス、オランダやロシアなどの国々とも締結したとされていますが、なぜこのような不平等条約を締結したのでしょうか?

実は、アメリカなどと締結した不平等条約が日本にとって不利だと気付いたのは明治時代に入ってからとされているのです。

この条約を締結した当時の幕府政府にとって、罪を犯した外国人を裁く面倒を省けるだけでなく領事裁判権については限定的だったことから幕府にとってもこの条約は好都合だったとされています。

関税自主権においても、当時の日本は輸出超過だったことから実質的な問題はなかったとされており、あまり問題にされていなかったのです。

岩倉使節団をアメリカに派遣

しかし、明治時代に入り様々な欧米諸国の文化や制度、思想などが輸入されるようになると、「これってやはり日本にとって不利なのでは?」という考えにシフトしていきます。

現代の考え方からすれば、アメリカやイギリスなどの脅威によって無理やり結ばれたのではないかと推測してしまいますが、実際にはそれほど危機感を感じていなかったということは、このまま日本が幕末の意識のまま過ごしていたら、植民地化されてしまうのは目に見えていたのかもしれません。

明治時代に入って欧米諸国の国の在り方や制度を学ぶにしたがって、日本がそれらの国と肩を並べて対等に国家として世界に通じる日本を作るためにも、日本が諸外国に向けて近代国家であることを示す必要があったのです。

そのためには、憲法の制定や議会を設けて開催するなどしっかりとした国づくりを早急に進めようとしたのです。

結果的に、それが日本を近代国家へと発展させる後押しとなり、不平等条約の撤廃も考え日本側は岩倉使節団をアメリカに送り当時のアメリカ大統領に謁見します。

その後数多くの人の努力が相まって明治32年にようやく治外法権の撤廃に成功し、明治44年には日米通商航海条約改正により関税自主権においても回復させ不平等条約の撤廃に成功します。

良いか悪いかを判断するのは難しいところですが、この不平等条約の締結は日本の近代化を進めるのに大きな影響を与えたとされています。

日本は明治時代から近年までアメリカに借金をしていた?

多くの人がご存知の通り、日本は太平洋戦争においてアメリカに敗戦し、初めて自国が戦場と化したことで多くの人が亡くなったとされていますが実は太平洋戦争は明治37年に起こった日露戦争におけるアメリカからの借金が原因で起こった戦争とも言われているのです。

日清戦争で勝利した日本は朝鮮を独立させてロシアに対抗するべく発展させようと試みたものの、朝鮮内部は非常に乱れておりそれがロシアや清国の介入へとつながったことで日露戦争が勃発します。

ロシアが自国の革命によって国情が乱れていたことと、ユダヤ人の銀行家がソビエトに金を回してロシアの崩壊を導いたなどあらゆることが重なって日本は何とか大国ロシアに勝利します。

ただ、勝利したのは良いものの莫大な借金が残ったのです。

日本はこの戦争で国家予算の何倍もの額を費やし、それをアメリカ系ユダヤ人に借金しており、実際に戦争には勝利したものの得たものの満州の権益やサハリンの領土半分のみで賠償金は入りませんでした。

多くの借金を抱えた日本が考えたのは、第二次世界大戦への参加です。

明治時代の時の日露戦争における多くの借金の借主はアメリカであり、戦争によって借金を踏み倒してしまえと考えたのでした。

つまり、明治時代のおける日露戦争のツケである前の世代の負債をごまかすために国民や世論を体外的関心に向けさせることで国民の目もくらまそうと考えていたのです。

太平洋戦争開始時においても、アメリカ系ユダヤ人資本家の多額の借金を背負っていた日本ですが、アメリカもアメリカで終戦後同盟国に対し賠償金を課さないと謳っておきながら、日本からはしっかりと金利をかけて借金の回収を行っていたのです。

その借金の返済がすべて終わったのは、昭和61年ですから82年もかけてやっと借金を返済したのです。

日本が戦争を行った理由の一つに自衛のためという理由が大きいとされていますが、一方で余計ではないかと思える体外紛争を頻繁に行っておりそのツケが現在に回ってきている事実も捨てきれないのです。

明治時代の日清戦争も日露戦争も、その後の第二次世界大戦も、日本を近代国家にする上で多額の負債を抱えてまでする必要があった戦争なのかどうかは判断が難しいところと言えるでしょう。

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