明治時代に流行した音楽とは?

明治時代k (41)© The New York Public Library, 2016

出産後再び活動を採火した日本の歌姫の復活も記憶に新しいですが、日本には様々なジャンルの音楽が存在し、それぞれ自分の好みの音楽を愛し聴き続けていきます。

文明開化で近代化に拍車がかかった明治時代には、どんな音楽が流行ったのでしょうか。

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明治時代は音楽の転換期だった?

明治時代に入るまでの音楽と言えば、日本古来より存在する和楽器を使用しての日本独自の旋律や内容、発声方法で進めていく音楽が主流でしたが、文明開化の影響によって西洋の音楽が入ってくると、まずは軍隊の軍歌や学校教育などの中に西洋音楽を取り入れるようになります。

その中でも、2拍子と4拍子系の行進用のリズムを基本としてわかりやすく簡単なヨナ抜き音階と呼ばれるリズムは、それまでの日本には存在しない新しいリズムだったとされています。

この音階は日本人にとって非常に耳障りが良く心地よいことから現在のJ-POPのリズムとして多くの楽曲で使用されており、ビートつまり節をはっきりさせた音楽は、日本人の心に残る名曲の数々にも使用されているのです。

下駄や草履だった生活から靴での生活に移行し、歩行生活においても変化したこともあって同時に日本人のリズム感も変えていったとされています。

なぜ日本独特のヨナ抜き音階が流行ったのか?

明治時代、明治政府は音楽においても西洋化を図るために西洋の音階であった7音音階、いわゆる「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」を導入するようになります。

しかし、この音階は明治時代の日本人たちには複雑すぎる音階であり、それまであった5音音階の影響で「ファ」と「シ」の音程が取れなかったとされています。

そのために、妥協案として「ファ」と「シ」を除いた「ド・レ・ミ・ソ・ラ」を用いられるようになったのですが、この音階が実は日本人の気質に合い、心を揺さぶらせる効果もあったことから現在も普通に使用され日本独自の音階として定着したのです。

日本だけに限らず、世界でも人気があるとされているきゃりーぱみゅぱみゅやAKB48の楽曲にもこの音階が使われているとされており、日本人にとって最も耳心地の良いリズムなのかもしれません。

明治時代における「歌謡」と「歌謡曲」の違いとは

「脱亜入欧」と呼ばれた明治時代は、音楽が流行として消費され始める時代でもあったとされていますが、生活や食べ物、文化や思想などが西洋の影響によって近代化するのと同時に、音楽における近代化も進んだとされています。

まず区別したのが、日本の古来の音楽と西洋の芸術歌曲であり、それまでの日本で親しまれてきた楽曲のことを「歌謡」、西欧の芸術歌曲のことを「歌謡曲」と呼ぶようにしました。

「歌謡曲」と言えば、現在では昔ながらの大衆歌曲のことを意味しますがその意味合いで「歌謡曲」と使われるようになるのは昭和に入ってからだとされています。

また、大衆歌曲のことを「はやり歌」という言い方をしていたのを、流行るか流行らないかわからない曲を「はやり歌」と命名するのはおかしいとして「歌謡曲」と呼ぶようになったとされています。

流行歌は、日本のポピュラー音楽の基盤となる存在であり、明治時代における音楽の西洋化が浸透したことやレコード技術が進んだことで庶民の娯楽として誕生したとされていますが、流行歌が大衆文化の発達に大きな影響を洗えるようになったのは明治時代よりももっと後の大正や昭和にかけてからだとされています。

ただ、明治時代の音楽における近代化が進まなければ、今日私たちの心を癒し楽しませてくれる日本独自の音楽というものも存在しなかったのかもしれません。

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