明治時代に洋食が発展したおかげで今の日本の洋食文化がある?

c The New York Public Library

カレーライスにハンバーグ、シチューやグラタンなど、日本ではありとあらゆる洋食を楽しむことが出来ますが、それも明治時代に発展した洋食文化が原点となっていることをご存知でしょうか。

明治時代にどのように洋食文化が発展し今日のように当たり前に食べられるようになったのか考えてみましょう。

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何度も試行錯誤を加えられた洋食、とんかつ

とんかつと言えばサクサクの衣に分厚い豚肉を揚げた、日本では非常にポピュラーな洋食の一つですが、すでに明治時代にはレストランのメニューの一つとして採用されていたようです。

明治32年、東京の銀座にある煉瓦亭が初めて「豚肉のカツレツ」というメニューを載せたとされており、イギリスで衣をつけて揚げていたポークカツレツを煉瓦亭の創業者である木田元次郎が今日のようなパン粉を付けてたっぷりの油で揚げるスタイルにアレンジしていったとされています。

そもそも西洋から入ってきた当初は揚げ物というよりも炒め焼きに近いものであったそうで、今まであまり食べなれてきていない日本人には重たく食べにくかったものを、パン粉を付けて揚げることで食べやすく改良していったとされています。

ちなみに、今ではとんかつに豚肉を使うのが一般的ですが明治時代当時は牛肉や鶏肉を材料に使って作るとレシピでも紹介されており、明治時代はポークカツレツ、いわゆるとんかつよりもビーフカツレツやチキンカツレツの方が人気が高かったようです。

食べるときには温野菜よりもキャベツを添えるなど徐々に日本人好みの料理に変えていくようになったのは大正時代に入ってからとされています。

明治時代の牛肉を使った洋食は牛鍋だけじゃない?

明治時代に有名な洋食と言えば、牛肉を砂糖や醤油で甘辛く煮こむ牛鍋を思い出す人も多いとされていますが、実は明治時代に広まった牛肉を使った洋食は牛鍋だけに限りません。

実は、とんかつよりも早く登場していたのはビーフシチューです。

明治4年には東京の九段の洋食店、南海亭のメニューとして加えられていたとされています。。

しかし、今まで全くビーフシチューを食べたことがなかった日本人がそんなに簡単にビーフシチューを受け入れられたのか気になるところですが、その当時はただビーフシチューと明記するだけなく添え書きとして「うま煮」「煮込み」と書いてあったことからどんな料理か想像しやすかったのかもしれません。

また、ビーフに限らず様々な食材を煮込んで作られた茶色のシチューは様々な場所に登場するようになり、イギリスの軍隊と親交の深かった軍隊の兵隊の食事にもシチューが出ることは多かったとされています。

明治時代に日本人好みにアレンジされたコロッケ

フランスのクロケットという料理が基盤となっているコロッケも、明治時代に発展した洋食の一つとされています。

ジャガイモ自体は既に安土桃山時代に日本に入ってきていたものの、ジャガイモよりもサツマイモの方が甘くて美味しかったためにあまり食べられていなかったとされています。

その後明治維新となり西洋の様々な文化に加えて洋食なども入って来るようになり、そこで入ってきたフランス料理であるクロケットがコロッケのルーツとなったとされているのですが、そもそもクロケットはホワイトソースを使用したクリームコロッケであり、それまでホワイトソースを食べてこなかった日本人の口には合わないと考えられたのです。

そこで、ホワイトソースをジャガイモに代えてクロケットと同じようにパン粉を付けて揚げたのがコロッケが初めて作られたきっかけとなりました。

つまり、明治時代に日本人好みにアレンジする努力がなければ、今現代で食べられているとんかつもシチューもコロッケも存在しなかったのかもしれません。

食に対する探究心や情熱を持っていた料理人がいたからこそ、私たちは今現代で日本人好みの洋食が食べられるというわけですね。

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