明治時代のピアノはいつどのように作られた?

c The New York Public Library

子供の習い事ブームとして女の子はもちろん、最近では男の子でも習い事でピアノを始める子も少なくないとされています。

明治時代においてはどのようにピアノが製造され広がっていたのかご存知でしょうか。

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始まりはオルガン?吸収合併されてしまった国産ブランド「西川」

音楽楽器の最強大手と言えばその名も名高いヤマハ楽器を思いつく人も多いはずですが、実は明治時代当時は音楽楽器と言えば「山葉」(現在のヤマハ)に並び、「西川」という国産ブランドあったとされています。

西川は、西川風琴製作所の設立者で三味線職人であった西川虎吉という人が明治16年に国産初のオルガンを製作したとされており、明治20年にヤマハが制作したよりも早かったとされています。

両社はそれぞれ切磋琢磨してオルガン制作を始め、山葉よりも先に西川が明治23年に開催された内国勧業博覧会にオルガンを出品し話題となりましたが。

ただ、西川が制作したオルガンは主要品の多くを輸入物に頼っていたことから国産初のオルガンとは認知されなかったようです。

その後西川は経営難に陥り、日本楽器に吸収合併されてしまうのですが、吸収合併後も「nishikawa」というロゴの楽器が残っていたことから、西川が如何に信頼できる国産楽器ブランドであったかわかるのではないでしょうか。

世が世なら、国産第一号のピアノを制作して現在も残る楽器ブランドと言えばヤマハではなく、「西川」であったのかもしれません。

山葉、西川、そして西川虎吉の弟子であった松本新吉が興した松本楽器が明治時代におけるピアノ製造の三巨頭とされていたようです。

ヤマハが国産の電気オルガン第一号を製作

ヤマハがピアノを作るきっかけとなったのは明治20年までさかのぼるとされており、ヤマハの創業者である山葉寅楠がアメリカ製のオルガンに出会い国産第一号となるオルガンを作ったことが始まりとされています。

その後、国産ピアノを製作するべく単身渡米した山葉はアメリカで様々な技術を学ぶついでにピアノの部品を買い付け、鉄骨フレームに「山葉」のブランドを鋳込んだものを注文するなどして明治33年にアップライトピアノの製造を始めます。

そして、明治35年にようやく国産初のグランドピアノを完成させます。

多くの熟練の職人の努力によって生まれた山葉の技術によるグランドピアノは、翌年に大阪で開催された内国勧業博覧会で最高賞を受賞、アメリカの大博覧会に出品した際にはピアノとオルガンの名誉大賞が贈られるなどして、ヤマハのブランドを一躍有名にする大きな起点となったのです。

当時のグランドピアノの価格は高級外車並み?

このように、ヤマハが手掛けたことで国産の純日本ピアノも作られるようになってきたものの、だからと言って実際にピアノを購入してお家で弾く、というのが流行したのは昭和40年代に入ってからであり、学校や一般家庭においても所有しているところは非常に少なかったとされています。

それもそのはず、明治時代のグランドピアノの価格は750円、現在のお金で換算すると1500万円以上だったからであり、それこそ本当の大富豪でなければ手に入れることが出来なかったようです。

明治時代はその年によって価格が大きく変動する時代でもありましたが、明治時代ににようやく作られるようになったピアノもその当時では非常に珍しかったために価格が異様に高かったのもうなずけるでしょう。

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