明治時代の人々は西洋文化を日本独自にアレンジして暮らしていた?

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文明開化によって数多くの新しいものが輸入されてきた明治時代に、人々はどんな暮らしをしていたのでしょうか。

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西洋文化を日本独自に取り入れて暮らしていた明治時代の人々

文明開化の波によって食べ物や思想、文化だけでなく生活スタイルなども西洋化してきた明治時時代ですが、一方で西洋の習慣をそのまま日本の暮らしに取り入れるのは難しかったとされています。

例えば、今まで一人ずつお膳が決まっていて家族ですら同じテーブルにつくという習慣がなかったのに西洋の習慣であるダイニングテーブルを畳で生活していた日本家屋に持ち込むのは無理がありました。

明治中期になると、ダイニングテーブルを日本独自にアレンジしたのがちゃぶ台が登場します。

ダイニングテーブルを日本家屋や座法という習慣に合わせて作られたちゃぶ台の普及により、家族が集まり一家団欒を過ごすという習慣も増えていったとされています。

欧米からの輸入品によって劇的に変わった明治時代の暮らし

明治時代の住居設備は、不便なものだったようです。

台所は家の北側の一番奥の土間にあり、住居にお風呂はなく基本的に銭湯に通っていたとされています。

普及してきた西洋文化の中で最も暮らしを便利にしたのがマッチとランプであったとされており、明治時代の頃は火打石を使用して火を起こさなければならなかった労力がマッチの輸入によって激変したのです。

明治政府においてもマッチ製造業を奨励して一大産業に成長したとされています。

また、明治時代に入るまでは行燈やろうそくを使用していましたが石油式ランプの輸入によって銀座などには通り沿いごとにガス灯が設置されて街中を明るく照らすのに役立ったとされています。

しかし、鹿鳴館を代表する西洋建築がもてはやされた一方で、庶民の暮らしは変わらず日本家屋の中で行われていたとされています。

西洋建築にするのは多額の費用がかかったことと、洋風の生活スタイルの家に慣れていない日本人には馴染みにくく住みにくかったからというのが理由のようです。

意外にも暮らしは乱れていた?明治初期の立小便禁止令

現在では、酔っぱらったおじさんが赤い顔で立小便をしている姿を見かけると顔をそむけたくなることもありますが、明治時代当初はこれが当たり前の光景だったとされています。

明治初期には庶民が住んでいる長屋などの暮らしの中にはトイレがあったものの、いわゆる誰でも使用できるような公衆トイレはなかったとされています。

そのため、街中でトイレに行きたくなったら男性は構わずそこらへんで立小便をしていたのですが、これが外国人から非常に評判が悪く明治政府は文明開化を目指した日本がこんな行いを続けていては問題だと立小便禁止令を出し、現場を取り押さえられた場合にはその場で100文(現在の2500円程度)の罰金を徴収したようです。

そして、明治4年には横浜で初めての公衆トイレが設立されるようになります。

ちなみに、下水道ができたのは明治17年のことで東京の神田に汚水排除も可能な近代下水道ができたとされています。

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