明治時代に初めて鉄道が開通したって本当?

c The New York Public Library

今では当たり前の交通機関として利用することのある電車も、元を辿れば明治時代に初めて鉄道が開通したことが始まりでした。

明治時代にどのように鉄道が入ってきて発展していったのか、歴史を紐解いてみましょう。

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駕籠から人力車、そして鉄道へ

江戸時代の移動手段と言えば、人為タクシー、つまり駕籠が主流でしたがほとんどの場合徒歩で移動するのが一般的だったとされています。

そして、明治時代に入ると今度は人力車が発明され、この人力車が多用されることになり駕籠は衰退していくのです。

人力車は、京都などの観光地などに行けば時々見かけることも多いので乗った人もいるのではないかと思われますが、現在もパキスタンやマレーシアなどでは重要な交通機関をして利用されています。

やがて、人力車も衰退してくるのですがそれは鉄道が発達したことと関係しているとされています。

このように、江戸から明治へと時代が移り変わるように、世の中が少しずつ便利になり駕籠から人力車、鉄道へと日本の交通機関は徐々に発展していったことが理解できるでしょう。

鉄道の恩人、イギリス人モレル氏の功績

明治5年になると、日本初めての鉄道が開通します。

場所は新橋~横浜間で、イギリス人の鉄道技師エドモント・モレル氏の指導の下日本の鉄道建設を始めたのが明治3年頃でした。

この人がいなければ日本が鉄道を開通する道は険しかったと言われるほどの人で、「鉄道の恩人」と呼ばれていたようです。

鉄道に使用する線路の枕木を、本来はイギリスから鉄製のものを輸入するはずだったのが「日本は森林の多い国だから木製の枕木の方が良い」と言った一言で現在もその形を残し鉄道の線路には木製の枕木が使われているのです。

明治時代その当時のことだけでなく、日本のこれからの鉄道の発展を見据えて日本の鉄道のために尽くしてくれた彼のお墓は、横浜の外国人墓地に眠っており彼の功績を称えて鉄道記念物に指定されています。

鉄道に土下座した?明治時代当時の人々

明治5年に初めて開通した鉄道ですが、江戸時代まではなかったものが急に日本に入ってきて、駕籠から人力車、鉄道へと変化していったのですから一般庶民はその変化についていけない人も多かったと言われています。

明治時代の世に初めて蒸気機関車が走った時は日本人にとって非常に衝撃的だったとされ、この世のものとは思えないその風貌に思わずひれ伏してしまったというエピソードが残っています。

結果的に、その後鉄道網は徐々に拡大していき、明治21年には新橋の路線の最終は国府津止まりだったのが、翌年には静岡へ、そして4年後の明治26年には神戸まで伸びており、日本人の生活にとって欠かせない交通手段の一つとなったのです。

日本の鉄道がここまで発展しなければ今の先進国日本はなかったのではないでしょうか。

現在の日本、特に都心部ほど鉄道がなければ考えられない世の中となってきていますが、逆にここまで便利になってしまったからこそ、頼りに頼り切ってしまっているのは悪いことなのかもしれません。

そのため、台風や大雪警報のたびに鉄道が止まって立ち往生するさまを、明治時代の人々が見たらどんな風に感じるのか気になりますね。

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