明治時代の映画の始まりはいつから?どんなものを上映していたの?

c The New York Public Library

今では一般的に観られる映画も実は明治時代にはもう存在していたことはご存知でしょうか。

明治時代には映画という文化がどのように始まっていったのか歴史を紐解いてみましょう。

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明治時代の映画は「活動写真」

明治・大正時代、映画は「活動写真」と呼ばれていました。

やがては専門に活動写真を上映する映画館もできるようになりますが、その前は祭りなどのイベントの際に見世物小屋などで上映をすることもあった他に寄席や劇場で上映されるのが主だったようです。

今では当たり前となっている現在のような映像が、その明治時代の当時の人々にとってはどんな印象だったのか気になりますよね。

スクリーンに映る人物がはつらつと動く姿を初めて観た人々は、非常に驚きなおかつ大衆文化の礎ともなり人気を博していたとされています。

日本で初めて映画が作られたのは明治30年のことで、浅野四郎というは写真店で働いている人でした。

その後も彼は短編映画をいくつか作るようになり、歌舞伎座などでも上映されるようになったのですが、日本で初めて映画が作られてから6年後の明治36年に、ようやく浅草に初めての映画館が作られ現在のようなスタイルが徐々に確立していったとされています。

12月1日が映画の理由は明治時代にあった?

明治時代や大正にかけてたくさんの映画館が建てられ、今もなおその建造物が残るところも存在しますが、12月1日が映画の日なのはなぜなのかご存知でしょうか。

実は、明治29年の11月25日~12月1日の間に初めて映画が上映されるようになり、その記念として最終日の12月1日が映画の日となったとされています。

ただ、この時上映されたのは「キネトスコープ」と呼ばれる小さな箱の中に映像が映し出されるタイプのものだったので、たくさんの人が実際に映画を観られたわけではありませんでした。

その後明治30年には現在の映画の形に近い状態のシネマトグラフという機械による映画が上映され、この時には多くの人が初めての映画体験をするようになります。

シネマトグラフを上映した神戸、大阪、京都ではそれぞれ「映画発祥の地」があるとされているようです。

最古の映画館「高田世界館」

北陸新幹線で上越妙高駅から二つの目のところに高田駅という駅がありますが、ここには日本で現役最古級の映画館である「高田世界館」があります。

街中にひっそりとたたずむこの映画館は、明治44年に芝居小屋の「高田座」として建てられ、その後大正15年に「世界館」の名前に改名後、常設映画館として現在も現役で活躍しています。

つまり、築100年以上も経っている悠久の映画館ということになります。

明治時代の当時の趣を残したこの高田世界館は映画館であるとともに登録有形文化財や近代産業遺産としても価値があるとされている建物です。

明治時代のレトロな雰囲気の中で映画を堪能したい人は、ぜひ旅行の際に訪れてみるのも良いのではないでしょうか。

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