日本で初めて鉄道が走った明治時代、当時の駅の様子とは?

画像c The New York Public Library, 2016

明治5年(1872年)、新橋~横浜間を日本で初めて鉄道が走ったことは有名です。

今回はその当時の駅・駅舎の様子についてご説明していきます。

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民衆に衝撃をあたえた鉄道の開通

明治5年旧暦の9月12日、新橋~横浜間に日本初の鉄道が正式に開通しました。

明治天皇の臨幸の元で盛大な開通式が行われ、横浜では各家々が日の丸の国旗と軒提灯を掲げてそれを祝いました。

ただし実際にはその数カ月前から品川と横浜の間で狩り営業が行われており、その頃から鉄道は大評判となっていました。

開業翌年の営業状況は、乗客の一日平均が4347人、年間の貨物収入が2万円、旅客収入が42万とされており、この結果「鉄道は儲かる」という認識が広まりました。

また、旅客収入が貨物収入を大きく上回っていることについては、貨物運用の準備不足に加えて、明治維新の直後だったせいで近代的な産業が未発達だったことで「運ぶべき荷物が少なかった」と推測されています。

初代横浜駅の様子

初代横浜駅の本屋(ほんおく)はアメリカ人の建築家であるR・P・ブリジェンスの設計によるもので、ブリジェンスはグランドホテルや築地ホテル館を設計した人物として知られています。

新橋駅の本屋もブリジェンスの設計で、両方の駅は双子の駅と称されていました。

当時の横浜駅は現在の桜木町駅の場所にあったとされていますが、実際には現在より大岡川に近い位置にありました。

駅本屋に入るとます車寄せがあり、正面に出札所広間、コンコースが広がっていました。

左右にある2階建ての建物の1階右に、上・中等車両の利用客待合所、左には下等車両の利用客の待合所がありました。

客車が上等・中等・下等(一等・二等・三等)に分かれていたためそれにより待合室も分かれており、2階には貴賓室・駅長室・役務室が設けられていました。

駅自体の見た目はとても美しかったとされていますが、実際には不便が多く、使い勝手は悪かったと伝えられています。

開通当初の鉄道の様子

横浜~新橋間の列車での所要時間は約1時間、その当時良く利用されていた乗合馬車で行くと3時間半かかった距離を3分の1以下で移動できる鉄道に、人々は驚き感激しました。

開通当初の運転本数は9往復で、午前中4往復・午後5往復でした。

当時の列車の編成は、蒸気機関車と客車8両で、上等1両・中等2両・下等が5両で、1つの車両の定員は30人です。

運賃は横浜~新橋間の片道で、上等12銭5厘・中等75銭・下等37銭5厘となっていて、現在の物価と大雑把に比較すると、下等でも片道4500円ほどだったと推測され、決して安くはありませんでした。

また、開通当初から新聞の販売が行われていた初代横浜駅は、構内営業の発祥地でもあり、明治7年になると新聞の他、旅に必要な物なども販売もされていました。

鉄道は短時間で移動できるという大きな利点がありますが、当時の人々にとってあんなに大きな鉄の塊が走るということは、それだけでも大きなカルチャーショックを受けたことは想像に難くありません。

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