明治時代の女性の地位は低いものだった?

明治時代k (34)© The New York Public Library, 2016

雇均法から何十年とたった今も、マタハラやパワハラ、セクハラなどの問題から女性が男性と同じく働くのは難しい時代とされていますが、明治時代においては女性の地位はどのようなものだったのでしょうか。

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明治時代は女性の目が開かれた時代だった?

江戸時代の士族の妻子たちは「死んでも貞操を守れ」というのが一般的であり貞操の危機があれば自害してでも守ったとされています。

そんな男女不平等だった江戸時代から、明治時代に入り女性解放が叫ばれたのですが実情はそれほど変わることもなく、女性にだけ様々な規制が敷かれていたとされています。

しかし、そんな一方で男性はやりたい放題であり、家族が食べられなくて貧乏になると娘を売るなどと、家長の一言でどうとでもなる女性はモノ扱いをされており、非常に地位が低かったようです。

中絶禁止で姦通罪も女性のみ

現在は望まない妊娠や幼くして母となり経済的・精神的にも子供が育てられないとなれば中絶することが許されていますが、明治元年は女性の意思や地位を全く無視するような中絶禁止という法律があったとされています。

これは、富国強兵と繁殖を促すための政策であり、その法律ができる前までは衛生的にも悪く食い扶持が減るためならと中絶や生まれたばかりの赤ちゃんを間引きするようなことも普通に行われており、また生まれた子供をすぐ売ってお金にする農村の人々などもいたのですが、その法律ができたことでそう言った一切のことが禁じられるようになります。

また、明治時代には妻のみに夫以外の男性と性行為をしてはならないという姦通罪の規定があったとされています。

その反面で、男性側は既婚者の立場でも妾を作ることもできたしほかの女性と良い仲になっても咎められないという不平等が生まれていたことから、女性の地位が非常に軽く見られていたことが伺えるでしょう。

ちなみに、妾は第二親等と戸籍上で認められており、この時代の女性の地位を象徴する大きな存在だったとされています。

見た目も自由にできなかった明治時代の女性たち

長い髪の毛は女性らしいイメージを与えますが、中にはショートヘアがお気に入りの女性も多く好きな髪型をするのは現在では自由です。

明治時代は、女性が自分の髪の毛を短くすることも咎められていた時代でした。

明治時代に入ると、男性は西洋の影響を受けそれまであったちょんまげを切り取り「ザンギリ頭を叩いてみれば 文明開化の音がする」と言われたほど文明開化の波に乗って短い髪の毛の男性が増えていました。

女性の中にも欧米諸国の流行を取り入れようと、髪を短くする人も多くあらわれたとされているのですが「女性ごときが男性の真似ごとをするのは何事か」という風潮になり、「女性は今まで通り髪を長く保ち切らないようにする」という通達も出たとされています。

その他には、いつの時代にも嫁姑バトルというものは存在しますが明治時代にもお姑さんとの関係に悩む女性は非常に多かったものの、世論はほとんど姑側の味方であったとされています。

そんな中、女性の地位の低さや不平等に対して「嫁姑問題は夫にも責任がある」と初めて異論を説いたのがかの与謝野晶子であり、明治時代においては考えられないような意見を述べたことから批判を受けることもあったとされています。

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