明治時代、天皇はどんな存在だった?

明治時代k (12)© The New York Public Library, 2016

現在、天皇の生前退位が問題となっていますが国民の象徴でもある今日の天皇は、実は長い歴史を辿って行けば明治時代には鎌倉時代以前から久々に政治の実権を握ることとなる人物でした。

明治時代においての天皇はどんな存在だったのでしょうか。

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絶対的なリーダー、それが明治天皇?

多くの人がご存知の通り、鎌倉以前は天皇が政治や国の実権を握っていたのですが鎌倉時代に入ると武家政治が中心となり、天皇の存在はその当時の政治や国情などを後ろ盾する存在であり、実際の実権を握っていたわけではありませんでした。

明治維新が起こりそれまで武家政治を行っていた幕府が倒されると、諸外国に向けてあるいは近代化を図る上でも、日本が一人前の国家だと認識させるためにも新しい時代を築く必要があったのです。

明治時代の当初の政治体制は、倒幕に勝利した薩摩や長州の人々が中心となる独裁政治でしたが、これから日本が近代国家への道を歩むためにも、絶対権力を持つリーダーを中心に行う国家体制にしたいと考えたのです。

そこで登場したのが天皇でした。

天皇を日本のリーダーとして憲法を制定しあらゆる権限を与え日本の中心にする立憲君主の国家を築こうと考えたわけです。

そのため、明治時代は実に鎌倉時代より600年以上の時間を経て天皇が実権を握ることになるのです。

明治天皇は名刀がお気に入りだった?

天皇と言えば近寄りがたいというイメージが強いですが、実は普通の一般人のように好きなものが存在し、それが刀だったとされています。

東北に巡幸した際には、上杉家に存在していた謙信の時代より続く名刀をいたくお気に召したというエピソードが残っているようです。

米沢藩初代・上杉景勝が無類の刀剣愛好家だったことからさぞかし見ごたえのある名刀が勢ぞろいしていたとあって、次に会った予定を延期してまでその名刀に見入っていたとされていたようです。

その中でも「姫鶴一文字」という謙信・景勝二代の愛刀は、銘を写し取って持ち帰るほど気に入られたとされています。

天皇であればそのまま持ち帰ることもできたと思えますが、同じく刀剣愛好家であった上杉景勝の気持ちを察したのか無理に持ち帰ることをしなかったというのも人柄をうかがうことのできる微笑ましいエピソードと言えます。

その後、明治天皇の刀剣好きを知った旧大名家たちはこぞって天皇に刀剣を献上したことから、数多くの名刀と呼ばれる刀が天皇の下に収集され、現在では国立博物館に展示されているようです。

日本は国宝として刀の比率が多いのも、実は明治天皇の軌跡と言えるかもしれません。

明治天皇は以外にもお茶目な一面もある人物だった?

歴史の教科書などの明治時代の天皇の写真はいかめしいひげのいかにも怖そうな人という印象が強いですが、実際には気さくでお茶目な一面もあったとされています。

天皇が江戸城に入った時に初めて発したとされる言葉は「江戸城は広いなあ」(実際にはもっとかしこまった言い方だったと思われますが)という言葉だったとされています。

また、皇后を始めとする天皇の周りにいた女性たちにあだ名をつけることがあったそうで、皇后のあだ名は鼻が高かったことから「天狗さん」だったようです。

明治天皇と言えばひげ、というイメージがありますがあれはもともと伸ばしていたわけではなく、西洋文化の影響によって伸ばしたとされています。

明治時代当時、ひげを伸ばすという行為は野蛮な行為だとされていましたが、西洋文化需要の一環であるひげを伸ばすことを広め、野蛮であるということを改めさせるためにも象徴である天皇が率先して伸ばせば改めるだろうという考えから天皇に伸ばしてもらったのではないかという諸説もあるようです。

ひげがなくなってしまうといまいち迫力に欠けるお顔であったことから、威厳を保つためにも明治天皇にとってひげは大切なものだったのかもしれません。

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