北海道は明治時代の北海道開拓が歴史の始まりだった?

c The New York Public Library

北海道と言えばカニやウニなどの美味しいものがいっぱいあるイメージが強い人も多いかもしれませんが、実は北海道の歴史は明治時代に始まったとされています。

どのような歴史を経て、現在の北海道へと発展していったのでしょうか。

スポンサーリンク
meiji-jidaiレクタングル大

富国強兵に向けた資源の調達が北海道開拓の始まり

「蝦夷の地」と呼ばれていた北海道は、そもそも明治時代よりも前にその土地の先住民が住み本州と交流はあったものの、そこまで本州が自由にできる土地ではなかったとされています。

それが本格的に始動したのは明治維新の頃で、明治政府が設立されると蝦夷の地も北海道と名を改めて北海道開拓使が設置されるようになると同時に、ロシアの侵攻を阻むための屯田兵の設置を行います。

北海道には、石炭や木材、硫黄を始めとする天然資源が山のようにあり、近代化を図るこれからの日本にとって資源の区調達には欠かせなくなることから北海道開拓を進めたのが大きな動機となったのです。

また、開拓とともに行われたのが移民であり、開拓した土地に定住する人々を政府で募集し、その人々に向けて援助を行いながら徐々に移民の数も増やしていったとされています。

北海道の歴史における屯田兵とは

明治時代、政府は幕府崩壊によって武士が失業したことによる救済のためや、ロシアの侵攻に対する防御対策として屯田兵と北海道に設置することにしました。

屯田兵の設置を勧めたのは西郷隆盛とされており、士族の武士として開拓という新たな使命を負わせることによっていつまでも誇りを忘れないように仕向けたのです。

屯田兵は、普段は農業や兵士としての訓練や道路や水道の工事作業、災害救援を行っており、いざ戦争となった場合には兵士として活躍する存在で、それまでは士族出身の人間を多く採用していたものの、徐々にそれも緩みだし最終的には平民出身の屯田兵が中心となって働くようになり、西南戦争や日清戦争、日と戦争にも参加したとされています。

北海道開拓使が終了したのは明治15年

それまで蝦夷の広大な土地を開拓し移民を移住させた北海道開拓使も明治15年になると廃止され、函館県、札幌県、根室県の3県が設置されいったん開拓使の手を離れるのですが、それもうまく振るわずに明治19年には3県を廃止して北海道庁が誕生します。

その時に建てられたのが今も現存し親しまれている赤れんが庁舎であり、明治42年には内部が全焼するなどの火災に見舞われたものの幸いにも壁だけを残していたことから昭和44年には本格的な復旧工事が行われ、北海道の歴史を今に伝える資料館として現在も活躍しています。

非常に貴重な資料も展示されているので、北海道の歴史を知りたい人は訪れた際に資料館に足を運んでみることをおすすめします。

スポンサーリンク
meiji-jidaiレクタングル大
meiji-jidaiレクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする