明治時代から始まった?!日本のパンの歴史について

画像c The New York Public Library, 2016

現在日本国民の主食としても食べられているパンは、明治維新が出発点です。

今回は、明治時代に始まったパンの歴史を簡単にご紹介していきます。

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パンはいつ日本に伝来したのか

日本にパンが伝えられたのは、鉄砲伝来と同年の1543年です。

ポルトガル人が種子島に漂着し、その後日本は平戸でスペインやオランダそしてイギリスと貿易を始め、その中には宣教師や製パン職人・料理人もいて、日本でもパンが作られるようになったのです。

珍しい物好きの織田信長も、パンを好んで食べていたともいわれています。

しかし江戸時代になり鎖国政策がとられたために、パンはしばらくの間長崎の出島だけで食されていた時代がありました。

幕末になり西洋諸国の来航が激しくなって、日本も開国論と尊王攘夷論(鎖国)が対立して国防が急務となり、各地で争いが起こるようになりました。

その中で、パンが保存性がよく携帯に便利、そして火をおこさなくても食べられることから、伊豆韮山の代官である江川太郎左衛門担庵がこれに注目して、出島のパン職人である作太郎を自宅に招き窯を作って軍用のパンを焼き始めました。

この江川太郎左衛門が日本のパンの祖とされ、現在でもパン業界では毎月12日をパンの日と定めています。

明治時代に大衆に広まったパン

明治政府になって文明開化の名のもとに、西洋の食文化が日本に流入してきました。

当時のパンの主流は食パンで、一部の知識人そして富裕層の中では食されていたパンでしたが、まだまだ大衆には浸透していきませんでした。

その後、実業家木村屋安兵衛が木村屋を開業し、明治7年に銀座へ店舗を移転した後にアンパンを開発しました。

木村屋安兵衛は、饅頭に餡が入っていたことに着目して小豆餡をパン生地でくるみ、外側は洋風・中は和風の酒種あんパンを開発したのです。

このあんパンが日本人の好みにマッチしたことから爆発的な人気を呼び、一般大衆に急速に普及していきました。

このアンパンは山岡鉄舟との縁で明治天皇にも献上され、また隠居生活をしていた徳川慶喜にも献上されていたと伝えられています。

明治時代から大正時代に飛躍的に発展したパン

こういった流れの中で、パンは食パン屋と菓子パン屋に分かれて、別系統のものとして発展していきます。

そして明治から大正にかけて、原材料や製パンの機械の進歩も著しく、パン産業は飛躍的に発展していくことになりました。

特に大きな役割を果たしたのが、原材料のイーストでした。

明治41年にビール酵母そして大正元年に生イーストの使用が確認されており、その後アメリカからドライイーストが輸入されたことによって、国産化も進められて日本中に普及していきます。

その後昭和になって大きな戦争が起こり、戦時中にはほとんどのパンの企業が食料営団に吸収されてしばらくの間、日本のパンは一時中断することになります。

しかし終戦後に食糧難の時代が訪れ、アメリカから輸入した小麦粉を使ってコッペパンが作られ始めて、学校給食にパン(コッペパン)が取り入れられたことから、パンの普及が急速に進みました。

そしてその後、西洋諸国から新しい様々なパンが紹介されるようになり、現在よく見かけるフレッシュベーカリーが登場します。

ちなみに、あんパンを開発したのは現在の「木村屋総本店」の前身の「文英堂」ですが、日本初のパン屋さんはイギリス人のクラーク氏が横浜で開店した「ヨコハマベーカリー」といわれています。

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