名字は明治時代から名乗るようになったって本当?

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© The New York Public Library, 2016

高橋、鈴木、佐藤など日本には様々な名字があり、名字と名前とセットで名乗ることは常識とされています。

現在は当たり前として名乗る名字も、実はそもそも名字を名乗るようになったのは明治時代からだったということをご存知でしょうか。

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そもそも名字はいつから始まった?

一昔前までは「江戸時代には名字という概念はなく、明治時代に入ってから一斉に付けた」とされていましたが、研究が進み少し解釈が変わったとされています。

江戸時代の頃も、庶民は普通に名字を名乗っていたようなのですが、飢饉による一揆の企てを防止するために刀狩を行った際に農民から武器を取り上げるとともに刀だけでなく名字を名乗る権利までも奪う「名字帯刀の制限」という法律を作ります。

これによって、特例以外の場合にはそれまで持っていた名字を庶民は名乗ることができなくなったのですが、明治時代に入ると、明治3年に国民に名字の使用を許可し、翌年には壬申戸籍を作り、明治8年には平民苗字必称義務令を発令しすべての国民に名字と名前を名乗ることを義務付けたのです。

ただ、江戸時代においても公には認められていないものの普段の生活の中では普通に使用していたとされているようです。

名字がない人はどうした?明治新姓とは?

平民苗字必称義務令が発令されたことによって、すべての国民が名字を名乗る義務ができたことになったために、多くの人は先祖代々から使用してきた家名を使用する人がほとんどだったとされています。

ただ、そもそも流れ者で家名自体がわからないという人や今まで使っていた名字ではなくこれを機に新しい名字に変える人もいたなど自由に決めることも可能だったようです。

今でさえ、もともとの名前や名字を変更するには様々な手続きを踏んだ上でやっと変えられるものですが、名字を勝手に変えても咎められなかった明治時代は、明治の転換期でもあり明治時代に新たに付けた名字のことを「明治新姓」と呼んでいたようです。

こんなのあり?「明治新姓」にはこんな名字があった

実は明治新姓としてつけられた名字は全体からするとそれほど多くはなく、現在でも普通に呼ばれている鈴木や佐藤などをそのままつけている人も多かったとされています。

ただ、自分の仕事や職業、関わっているものにちなんで変わった名字を付ける人もいたとされています。

漁村に住む人々は鯛、鰹、蛸 平目や浜地などの名字もあったとされており、煎茶に関わる人の場合には青柳や宇治、鷹爪や喜撰などがあったとされています。

その他にも僧侶の仕事をしている場合には菩提や羅漢、文殊、荷物担ぎをしている人は勝木さん、愛媛県では村民に村長が大根や蕪などの野菜の名前を付けたとされています。

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