文明開化とともに進んだ明治時代のファッションについて

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© The New York Public Library, 2016

現在の日本ではお茶やお華の先生、あるいは元から着物が好きというごく一部の人を除いて、多くの人は洋服を着ていることが一般的です。

では、洋服が海外から入ってきたころの明治時代はどのようなファッションが主流だったのでしょうか。

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洋服はフォーマルの時しか着ない?

明治時代と言えば長年続いた幕府制度が終わり西洋の文化を取り入れる風潮に変わり文明開化が進んだ時期でもあります。

鉄道や洋式建築、洋食を始め、西洋文化が日本に入ってきたのもこの時期であり、今では当たり前の装いである洋服も、明治時代初期に入ってきたと言われています。

軍隊においての男性の制服が洋装に移行したことから徐々に庶民の間でも洋服のファッションが普及していったようです。

しかし、洋服を着るのはあくまで正式な場に出る際のフォーマルな装いであり、男性も普段は着物で過ごすことが多かったようです。

お洒落も楽じゃやない?女性のファッションとは

では、女性が洋装になったのはいつなのかというと男性の軍服よりも少し遅れて、明治16年にお雇い外国人である時計技師が設計した洋風建築である鹿鳴館が建設された時期の頃となります。

明治後半から大正にかけてといえば女学生のはかま姿が有名ですが、コスプレのいでたちとしても人気の高いファッションで、現在は大学生の卒業式などで多く見かけます。

これも実は女学校から始まったファッションだとされており、着物は動くときにどうしても裾が邪魔になってしまうので学業の妨げとなったり裾が乱れる原因となっていたために袴をはくことでより動きやすくしたとされています。

女性も男性と同じく、洋装はフォーマルの際の服装であったために日常のファッションはやはり着物で過ごすことが多かったとされており、どん名良家のお嬢様も奥様も自宅で履物で過ごしていたとか。

明治政府は、日本を文明国であることを象徴する手段として鹿鳴館を建設して外国と同じく社交界があるように見せかけ、夜会や祝宴会などのダンスパーティーを開く際のファッションとして洋装を取り入れましたが、それまで着物でゆったりと過ごしていた日本の女性にとって、ウエストをきつく締めあげるコルセットのドレス姿は非常につらかったらしく、あまり長続きしなかったとされています。

洋服は贅沢品だった?

では、一般の下々の人のファッションはどんなものだったのでしょうか。

明治時代は洋服イコールフォーマルドレスや軍服などの制服であったために庶民にとっては贅沢品であり、もっぱら和服を着ていたようです。

ただ、この「和服」という言葉は西洋から洋服が入ってきてからそれに対抗して作られた言葉だとされています。

庶民は着物で過ごすことが多かったものの、文明開化で開港したことで西洋の様々な輸入織物が入ってきたことによって江戸時代の着物とは異なり、洋服に使用されるような織物で作られる着物が出てくるようになるなど、文明開化が和服にも影響するようになります。

着物といえば、現代では着るのも脱ぐのも過ごすのも面倒というイメージが強いですが、それは明治時代の当時の人々にとっても同じだったようです。

軽く引っ掛ける程度の着方をしていたために、歩くたびに胸がはだけたリフト元もがあらわになっている姿を見て、ペリーとともに来日した宣教師を始め多くの外国人は半ば裸同然で歩いている日本の男女に驚いたとされています。

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