明治時代の名前は男性の中にはキラキラネームもいた?

c The New York Public Library

最近の男の子の名前は、より複雑化してわかりにくくなり、幼稚園や小学校で担任がなかなか子供の名前を呼べないなどのトラブルも多々あるようですが、明治時代の名前で男性の名前で多かったのはどんな名前だったのでしょうか。

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明治時代には名前が大きく変わった?

明治維新が起こり文明開化の波や近代国家として徐々に成長していく日本において、そこに住む人々の名前も少しずつ変わっていったとされています。

普通、年号が変わったからと言って自分の名前はそのままであることが多いと思われます。

昭和から平成にかけて、年号が変わったので名前も変わったという人はほとんどいないでしょう。

しかし、明治時代には年号が変わり新しい年の幕開けとなった際に一緒に名前も変わったとされているのです。

明治時代になり、それまで名前しか持たなかった庶民は苗字を持つことになるのですが、それだけに限らず名前も変わったのです。

それまでは、自分の名前に「衛門」や「兵衛」など官名にあたる名前がついていた男性も多かったのですが、明治3年になると、名前に官名に当たる部分を付けるのを禁止されたのです。

だからと言って全く変えてしまっては別人になってしまうために、この官名に当たる部分を取り除いた名前が新しい名前となる男性も少なくありませんでした。

たとえば、宗右衛門さんという名前の男性だったら「衛門」を取って「宗吉」、「安兵衛」という名前の男性なら「兵衛」を取って「安二郎」など、元の名前の頭の文字を残して分かりやすくしたのです。

しかし、すべての名前がそのまま衛門や兵衛を取ればそれでよいというわけではなく、なかなかその禁止令通りにならない名前も数多くいたようです。

明治時代末期は大正の香りが強い?

明治時代は45年と非常に短く、その中でも様々な名前の男性がいたとされていますが、明治45年、つまり大正元年は大正時代の幕開けとも言うべき大正時代をモチーフにした名前の男性が多かったとされています。

大正の「大」の字を取って「正一」、次男なら「正二」、三男なら「正三」など正の字をメインにつけられている男性は多かったのです。

それは、昭和の初めに昭二さんや昭三さんが多かったのと同じく、その年号を付けることに大きな意味があったのかもしれません。

意外に偉人に多い?DONなキラキラネーム?

漢字の読み方と実際の名前が違うためになかなか読めないのがキラキラネームとされていますが、実は明治時代にもキラキラネームの名前があったことはご存知でしょうか。

たとえば、明治時代に生まれて大日本帝国海軍軍人となった「山本五十六」さんは、読めないこともないですがなかなかない男性の名前の一つです。

また、明治時代の文豪、森鴎外は子供たちにキラキラネームを付けていたとされています。

長男の名前が「於菟(おと)」、次男が「不律(ふりつ)」など、読めなくはないですがなかなかつけない名前と言えます。

これは、文明開化によって様々な西洋の文化が入ってくると同時に、日本人も海外に行ったときにどこの国でも通じるような名前であることを願ってつけられたという説もあります。

名前は、親が一番初めに子供に捧げるプレゼントです。

明治時代のように、大人になってから急に名前が変わった人もいれば最初からキラキラネームのような人もいますが、明治時代も現代もそれほど事情は変わらないのかもしれませんね。

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