明治時代にもアイドルオタクは存在した?

c The New York Public Library

応援するアイドルのためにどこにでも駆けつけるアイドルオタクは、現代はどの時代にも存在する熱狂的なファンとしてアイドルにとっても欠かせない存在です。

実は、明治時代にもアイドルオタクが存在したことをご存知でしょうか。

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娘義太夫が現在のアイドル的象徴だった?

明治時代のアイドルは、娘義太夫というジャンルから生まれた少女たちがそれにあたるとされています。

義太夫というのは、三味線の音楽に乗って浄瑠璃の演劇脚本を語る話芸であり、それを語る女話芸人の中に10代の少女たちがおり、妙齢と容姿、優れた声で非常に人気が高かったとされています。

江戸時代においても女性の義太夫の存在があったとされていますが、男性の芸人と比べると一段低く見られていた存在であったためにあまり人気にはならなかったようです。

それまで、女性が寄席に上がることを禁じられていたのですが、明治10年に解禁となったことがきっかけとなって娘義太夫の存在が知られるようになり、その後上京することでさらに娘義太夫の発展に拍車がかかったとされています。

明治時代の超アイドル、娘義太夫の「竹本綾之助」

娘義太夫の中でも、最も人気を博したのが明治20年に大阪から東京に移りデビューした竹本綾之助です。

当時12歳であった竹本は、声や容姿が優れたこともあり高座で一生懸命語るその姿に男女問わず人気となり世間の注目を集め一躍明治時代のアイドルの象徴となります。

明治時代当初、男女の交際を公にすることが許されなかった時代に数十万人という若き学生や行員の青春のはけ口であったのが娘義太夫という存在であり、またマスコミが竹本のスキャンダルを書き立てたことも人気となった理由の一つでもあります。

竹本の引退後も様々な娘義太夫がデビューしますが、そのたびに彼女らに夢中になる人々の間では親衛隊やファンクラブなどが結成され、熱心にファンレターを送り毎晩のように寄席に通い詰めたようです。

総理大臣伊藤博文は明治時代における生粋のアイドルオタクだった?

明治時代に初代総理大臣を勤めた伊藤博文は、実は生粋のアイドルオタクだったという事実があります。

彼が夢中になったのは奇術師である松旭斎天勝という人物であり、奇術師と言えば現代では手品などを演じる人というイメージが強いですがその当時は演劇やレビューなど流行もののごった煮のショーを開くのが一般的でした。

絶世の美女であったとされている松旭斎天勝は、伊藤博文を始め後藤新平やエリート官僚、国会議員など要人のファンが多かったとされています。

いつの時代においても、アイドルが存在しそしてアイドルオタク、親衛隊やファンクラブができるのは100年以上経っても変わらない、日本の風習みたいなものなのかもしれません。

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