明治時代の音楽教育はどのように始まっていったのか?

c The New York Public Library

今現在幼稚園や小学校、中学校で音楽教育をすることは当たり前となってきており、今ではダンスの授業まであるくらい日本の教育は変化してきています。

明治時代においては音楽教育はどのように進んでいったのでしょうか。

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音楽教育の父?「井沢修二」

江戸幕府が崩壊し、明治時代に入ってたくさんの西洋の文化が入ってくるのと同時に、数多くの西洋の音楽も日本に入ってくるようになります。

各国列強に追いつけ追い越せと躍起になっている日本でも、しっかりと音楽教育をしないことには欧米列強になめられることを懸念した明治政府は、日本においての音楽教育について力を入れようとします。

そこで中心となった人物が井沢修二という人です。

アメリカに滞在した際に学んだ音楽教育で、日本も本格的に音楽教育をしていくべきだと提唱した彼の勧めもあり文部省所属の音楽教育期間である音楽取調掛を設立します。

そして、この音楽取調掛は後に音楽学校、現在の東京芸術大学音楽学部と発展していきます。

日本の音楽教育の始まりは明治時代?

音楽取調掛を設立し、本格的に日本の音楽教育に取り掛かることになってまず始めたのは、小学校の音楽教育からでした。

明治5年に制定された学制により、小学校では「唱歌」、中学校では「奏楽」をという強化が設けられるようになります。

その際に、西洋から入ってきた数多くの西洋風の音楽を取り入れられるようになり、今日まで受け継がれているのです。

つまり、ここで明治政府はしっかりと音楽教育をやって行こうと決めなければ、今現在の日本で学校の強化に音楽教育はなかったと言えます。

明治時代に音楽教育が始まったことにより、現在も当たり前のように日本で音楽教育を行っているわけです。

「鳩ポッポ」の作者って誰だか知ってる?

西洋文化の影響を受けて、自由な発想を持った数多くの文学作品が生まれたのと同じくして、音楽においても様々な楽曲が誕生したとされています。

明治時代の有名な作曲家としては、滝廉太郎が有名ですが彼は今現在に残る数々の名曲を残している明治時代の作曲家の一人です。

数々の名曲を残しているものの24歳という若さで亡くなっています。

彼が作曲した作品には、子供のころ誰でも聞いたことのある「鳩ポッポ」や「箱根山」、「荒城の月」など数々の名曲を残し現在も受け継がれています。

いつの時代も、名曲というのは時代を超えて残るものなのですが、日本では有名なこの楽曲も海外で知られるようになるのは昭和になってからとされてからでした。

そういう点では明治時代において日本はまだまだ発展途上国だと世界から思われていたのかもしれません。

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