現代の食生活も明治時代に普及した?料理編

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© The New York Public Library, 2016

戦後の食べ物のない時代を経て、現代は食の欧米化などによってひもじい思いをすることはなくなったものの一方で食べ過ぎてしまうことで生活習慣病などのリスクが懸念視されています。

明治時代においては、どんな料理が存在したのでしょうか。

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肉料理解禁!しかし現状は・・・

明治時代は文明開化ともに西洋の文化がたくさん入ってきたことから、料理に関しても劇的な変化を遂げます。

現在では冬場のお鍋としても定番のすき焼きが入ってきたのも実は明治時代が始まりだったとされており、滋養強壮を目的として明治天皇が牛肉食を食されたことから一気に普及して文明開化の象徴ともいえるべき料理となったようです。

最初はそのまま牛肉を食べていたのですが、様々なアレンジを加えて現在のすき焼きに近い「牛鍋」という形になり流行したとされています。

ただ、西洋の食習慣をそのまま日本に取り入れるのは難しく材料も高価だったことからすぐにすたれていったようです。

しかし庶民の食事にはあまり影響せずに農村部や貧困層は相変わらず和食中心の質素な食事で過ごしていたとされています。

体は正直?食べなれたものが一番という悲しい理由

明治時代中期になると、フライ料理や油を使った料理など様々な西洋料理が入ってくるようになります。

今や国民食と言っても過言ではないカレーライスやハヤシライス、チョコレートやビスケットなどのお菓子も明治時代になってから入ってきたものだとされ、西洋風の料理を作るレシピを紹介する記事や雑誌などが増えましたが実際に自宅で西洋料理を作る人は少なかったとされています。

肉を食べればさらに滋養がついて長距離も楽々走ることができるのではと、人力車の車夫に肉料理を食べさせるようにしたところ、その当時の人たちは今まで肉を食べる習慣などがなかったことから肉を消化・吸収する酵素が非常に不足していたために肉料理を食べた後に胃もたれを起こす人も多く、麦飯や漬物、魚の干物などの以前の食事に戻す人も多かったとされています。

また、日本のそれまでの伝統的な本膳料理は衰退し、料亭や旅館などの懐石料理や一部の寺院などでの精進料理などでのみ形を残し現在に至っています。

銀座のあの有名店は明治時代に登場した?

最近では、日本人はお米と同等かそれ以上になるくらいパン食が主食として一般的になってきていますが、明治時代はそれ程流通していなかったとされています。

パン自体は安土桃山時代にポルトガル人の教えなどによってすでに日本には入ってきたとされていましたが、現代のものほど美味しくなかったために明治時代に入り西洋の様々な料理が普及してもパンはそれほどもてはやされていなかったのです。

そこで、日本で最初のパン屋を設立した木村屋安兵衛は何とか日本人の味覚に合ったパンを作れないものかと悩んだ末に6年の際月をかけて酒種酵母を発明し、日本で最初のあんパンを作り出したのです。

西洋のパンと日本のあんこを合わせた和洋折衷なこのパンはたちまち評判となります。

明治8年にはその当時の明治天皇におやつをして献上したところいたくお気に召し、それまで老舗の歴史ある食べ物しか宮中の出入りを許されていなかったのですが、あんパンを食された両陛下から引き続き納めるようにという言葉を賜ったことから一躍広まり、パン食が普及するきっかけともなりました。

明治2年に「文英堂」の名で創業したお店は、現在木村屋総本舗として現在も営業しています。

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