© The New York Public Library, 2016
家電がなくなりつつあり、現在では一人一台電話機を持つのが当たり前となった現代ですが、今ではメールやLINEなどのツールも増えて簡単に連絡を取れるが可能になって便利である反面、電話に操られている感も否めません。
実は、電話は明治時代に始まったとされていますが、その当時の電話とはいったいどんなものだったのでしょうか。
ペリーの来航とともに幕開けした日本の電気通信
そもそも日本に電気通信が入ってきたのは明治時代よりも前の江戸時代にさかのぼり、ペリーの二度目の来航ともにもたらされたモールス電信機から始まったとされています。
幕府に限らず各々の藩においても電信機の軍事的価値は認められており、研究がすすめられていたようです。
明治時代に入ると、西洋文化とともに入ってきた欧米の優れた技術を積極的に取り入れて明治2年には東京~横浜間の電信が開通されて電報の取り扱いが始まります。
明治5年には我が国初である海底通信ケーブルが関門海峡によって敷設されました。
公衆電話が始まったのはいつ?
明治9年にベルによって電話機の特許が出願される頃になると日本にも徐々に普及してくるようになり、明治10年には電話機を欧米から購入して研究を重ねて、国産化を目指していきます。
しかし、やはり電話機自体は非常に高いものであり政治家や資産家などしか持っておらず、加入料なども高かったことから庶民においてはなかなか利用する機会がないことが懸念されていました。
では、庶民が電話をかけられるようになったのはいつ頃からというと、欧米から遅れること10年、明治23年に電話交換業務、いわゆる公衆電話サービスが開始されるようになってようやく庶民にも流通するようになります。
初期の電話は、電話機についているハンドルを回して交換手を呼び出し、家や会社、施設などの目的の場所につないでもらうやり方が一般的だったとされています。
通話料はいい加減?「清く正しく美しく」
明治時代の通話料は、東京市内を5分相当かけるのに15銭、今で言えば2250円くらいだったとされていますので、庶民には利用するのもはばかられる値段だったことから、明治35年に5銭(現在で言う750円相当)に値下げしたら利用者も増えたとされています。
交換手に、「○○円入れてください」と言われその際の通話料を電話機の料金箱に入れていたのですが、実際には監視カメラなどがついている時代でもないので、嘘をついて入れていないのに「入れました」といえばそれでもまかり通る時代でした。
当然、お釣りが出るシステムではないために小銭が手元にない場合にはお札を入れるしかなく、実際には通話料よりも多い金額が料金箱に入っていたとされています。
釣り銭を受け取らないまま、しかも礼儀正しく通話料を多めに入れていた日本人の正直な振る舞いが当時のアメリカの新聞でも話題になり、「貧しくとも清く、正しく、美しく」とまるで宝塚の教えのように日本人の振る舞いが掲載されていたようです。
ただ、人々の暮らしが徐々に豊かになってくるとそれまでの振る舞いが嘘だったかのように通話料を入れずに電話をする輩が増えてきたこともあって、現在と同じコインを入れると通話できるタイプの電話機に変わっていったとされています。