明治時代の電気はどのように人々の生活に定着していったのか?

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© The New York Public Library, 2016

文明開化によって様々な西洋の文化が入っていた日本において、電気の発達もその一つとされています。

では、明治時代にはどんな風に電気が人々の生活の中に溶け込んでいったのでしょうか。

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モダンな明治時代の象徴の一つだった電気

暗い夜道を照らすのに必要不可欠である電灯が日本で最初に登場したのは、明治11年、今の銀座である東京木挽町、のちの東大工学部となる虎ノ門工部大学校のホールにてアーク灯を点灯したのが始まりとされており、その日はまさに電気中央局開業の日であり「電気の日」の由来となったと言われています。

当時の電灯は、15分点灯させるのに50円もかかり、安定して点灯できないなどの不安定さが生じていたのと弧光燈とも呼ばれたアーク灯は従来の電線を使ったものとは異なりバッテリーを使用して一時的に明るくするためのいわば携帯式の電灯であり、結果的にすべての家庭や町に電気を普及するとなるとしっかりと発電所と送電システムを作らないことには意味がなく、まだまだ課題が多いとされていました。

庶民が初めて電灯を見ることができたのは明治15年に銀座2丁目の大倉組の前に点灯されたのが最初であり、ろうそくを4000本も使用したのと同じ明るさに感動し、市民が見物のために毎夜そこに訪れていたとされています。

危険性よりも利便性?本当は危険だった当初の電気

日本の電化が始まったのは、明治16年に横須賀造船所や現在の後楽園である小石川砲兵工廠の中にある村田鉄製造所、明治18年には内閣官報印刷場などの場所に発電機が設置されたことが始まりであり、その設置によって電気がいかに人々の生活に有用性があるかということを広めながら明治19年には日本初の電力会社となる東京電灯(東京電燈)が開業します。

この会社が初めて点灯させた場所は明治時代の記念的建造物である鹿鳴館であり、その後麹町や神田など様々な場所に火力発電所を設置していよいよ電線による配電システムが一般化することになります。

皇居に電灯が入ったのは明治22年、営業用の電気供給が始まったのは明治23年で日本初のエレベーターが設置された凌雲閣であり、その後朝日新聞や都新聞などの新聞会社に送電されるようになりました。

初めて電気で電車が走ったのも明治時代であり、上野公園でアメリカから輸入された路面電車が走り、人気を博したとされていますが使用し始めた頃の電気というのは非常に危険なものであり、漏電によって国会議事堂は焼失するなどの事件もあったとされていますが、危険性よりも利便性の方が多いということで現在の東京の空のようにあちこちに電線が張られるようになってくるのです。

アイロンもエレベーターも明治時代が始まり?

日本に電気が入ってきたことで、モダン都市として東京が開花したのもまさに明治の終わりの頃だとされています。

明治44年にはカフェ・プランタンや帝国劇場などが誕生しデパートである日本橋の白木屋では、今では当たり前となっている百貨店初のエレベーターと回転ドアを設置して他の百貨店などに先駆けて導入したのです。

電化製品としては今では家電製品として当たり前のアイロンは、それ以前の時代にも火熨斗を使用したものや焼きゴテを利用したものなど各時代でアイロンのようなものは存在していたとされ、元をたどれば紀元前2000年以前にはすでに存在したとも言われていますが、明治時代になると電気化したものが登場します。

明治15年にはアメリカではじめての電気アイロンの特許が出願されましたが、この時代にはまだアメリカにおいても電気の普及が十分ではなかったために日本においてもそれほどアイロンが家庭の必需品というものではなかったと言えます。

庶民の生活の中に電気アイロンが入ってきたのは明治43年にアメリカで本格的に実用化された後、日本に輸入されたのは大正に入ってからだとされています。

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