明治時代の日本の文化として海水浴が始まった理由は?

明治時代k (23)© The New York Public Library, 2016

長きにわたって君臨した江戸幕府が崩壊すると、西洋の様々な文化や思想などが輸入され日本人にとっても近代国家を作るのに必死であった明治時代ですが、明治時代には日本の文化はどのように変化していったのでしょうか。

現在多くの人が楽しむレジャーに海水浴がありますが、実は海水浴の始まりは明治時代だったことをご存知でしょうか。

スポンサーリンク
meiji-jidaiレクタングル大

お雇い外国人の協力がなくては実現できなかった明治時代の日本の文化

明治時代に入って日本の近代化を図るために諸外国から様々な知識や技術を導入するために必要なのは、本や道具、モノだけではなく人に取る指導も必要だとされていました。

そのため、諸外国の最先端の技術を教えてくれるお雇い外国人という存在が必要不可欠だったとされています。

極東の小さな島国のために、ヨーロッパを始めとする国々は日本に多くの外国人を快く派遣してくれたとされ、長きにわたって滞在したようです。

数年滞在した後翻刻に戻るお雇い外国人もいれば、中には日本文化に魅了されてそのまま永住すること決めた外国人も多く、小泉八雲も日本名を持つ日本に帰化したラフカディオ・ハーンや、鹿鳴館や宮内省などの西洋建築に携わり、また日本独自の純和式の部屋を設計したり、数多くの明治時代を代表する西洋建築科を育てたとされるジョサイア・コンドルは、日本の文化に魅了され時刻に変えることなく日本においてその生涯を閉じたとされています。

また、海水浴を広めるのに一役買ったのも日本に来日した外国人たちが最初だったとされています。

鉄道の開通により海水浴が日本文化の一つに

四方を海に囲まれた島国である日本は、現在ではサーフィンや海水浴などがレジャーの一環として楽しまれていますが、海水浴が一般化したのは明治時代に入ってからだとされています。

海はそもそも漁師や海女など生活のために海に入る人がいても、海で泳ぐことを楽しむために入る人は珍しくたとえ入ったとしても病気の療養のために海水浴に浸かる程度だったとされています。

明治5年に開通した東海道鉄道が、明治20年になると横浜からさらに国府津まで延長して開通するようになると、翌年には大船ー横須賀間でも開通されそれが海水浴客の増加につながったとされています。

日本において暑い夏を過ごすための知恵として来日した外国人の多くはすでに海水浴を楽しんだとされており、東海道鉄道の開通が広がったことによってそれまで外国人や一部の上流階級の人たちが楽しんでいた海水浴も海水に浸かって病気をな治療するという目的から遊泳を楽しむことへと変化していったとされています。

湘南がレジャースポットとなったのは明治時代?

外国人や上流階級の人たちが楽しんでいた海水浴の場は、居住地の外国人たちが移動を許されていた富岡海水浴場が中心だとされていましたが、その後東海道鉄道沿線内にある鵠沼や大磯、由比ガ浜といった海水浴場も人気となり、特に大磯は大勢の人が楽しむことのできる海水浴場として評判が良かったとされています。

一昔前に、アイドルの水泳大会で使用されることが多かった大磯ロングビーチも明治時代にはすでに海水浴のレジャースポットだったというわけです。

明治35年になると、藤沢ー片瀬間に江ノ島電気鉄道の営業が開始され明治43年には小町線までのすべての沿線が開通され海水浴客に加えて江ノ島詣でをする人たちも増えたとされています。

江の島、藤沢、鎌倉といった周遊ルートが完成した頃になると、日帰りや一泊二日で気軽に楽しめる行楽地ができたことによって多くの人が訪れ人気を博したとされています。

スポンサーリンク
meiji-jidaiレクタングル大
meiji-jidaiレクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする