c The New York Public Library
江戸時代から明治時代に入ると、それまで当たり前に過ごしていた生活のいたるところで様々な変化が出てきます。
まさしくその変化は、西洋の文化が入ってきた大きな影響とされていますが、どんな特徴があったのでしょうか。
洋服よりもやっぱり着物?でも江戸時代とはちょっと違う?
西洋の文化が入ってくることによって大きく変わったのは、日本人の服装です。
江戸時代までは着物が主流でしたが、西洋の文化や外国人が入ってきたことによって洋服の文化が入ってきたのは明治時代の特徴であると言えます。
ただ、いくら西洋の影響によって洋服を着る人が増えてきたと言っても、それは一部の上流階級の人々の話であり一般庶民はまだまだ着物文化が色濃く残っていたとされています。
とはいっても、江戸時代と全く同じ、というわけではありませんでした。
明治時代の着物の特徴として江戸時代と異なるところは、文明開化によって西洋から今まで日本になかった化学染料を使用した染料や染物が入ってきて、西洋独特の模様などが着物に取り入られたこともあり、江戸時代に比べて色や柄が派手で華やかだったのが明治時代の着物の大きな特徴とされていました。
また、日本人は西洋の洋服をうまくアレンジして「袴にブーツ」「襟付きシャツに着物」など和洋折衷な装いをするのも得意だったようです。
奇跡的なコラボを実現、食文化の特徴
今でさえ日本人の朝食はご飯を超え、パン食がほとんどという家庭が多く日本人のパン好きには辟易することもありますが、そもそも日本にパンが入ってきたときは安土桃山時代で、当時のパンは硬くてぱさぱさしていたためにそれほど普及せず、人気がなかったとされています。
明治時代に入り、様々な西洋の文化が入ってくるのに合わせて、後に木村屋の創業者となる木村安兵衛は明治2年にパン屋を開業します。
木村安兵衛だけに限らず、この時期には様々なパン屋がオープンし、新しい時代の風に吹かれて追い付け追い越せで競い合っていた時代でもあったのです。
木村安兵衛は、なんとか日本の食材とパンをドッキングさせて新しいパンを作れないかと試行錯誤し、屋号を「木村屋」に改めて明治7年に初めてあんぱんが店頭に並ぶことになります。
このあんぱんこそ、明治時代だからこそできた芸術作品の一つと言っても過言ではない、西洋の文化と日本の伝統的な和菓子の食材でコラボした奇跡の一品と言えます。
最近では、これに生クリームを入れてまさに最強の組み合わせとなった生クリーム入りあんぱんも販売しているパン屋も多く、まさにあんぱんは時代が生んだ明治時代の象徴とも言えるべきパンでしょう。
明治時代の全体的な特徴は「日本人独特のアレンジ」
明治時代に入って、文化や芸術、鉄道や建造物に至るまで西洋の様々な文化が入ってきましたが、だからと言って西洋のものをそのまま取り入れて日本人がそれに合わせていったわけではなかったとされています。
もちろんそのまま取り入られたものもあると思われますが、洋服一つ、食べ物一つをとっても日本人の独特のアレンジが加わったからこそ爆発的な人気を博し結果的に今日にまで残るようなものを作ってきたと言えます。
たとえば、西洋からがフォークやスプーンなどが入ってきました。
基本的にそれらの食事道具は誰それのもの、という決まりがなく家族全員で使うのが一般的です。
しかし、橋や茶わんなどはそれぞれ自分専用のものがありそれは今現在でも日本人に残る風習と言えます。
西洋の文化が入ってきたものの、今までの生活スタイルややり方をすべて変えるのではなく、うまく混ぜ込み折り合いを付けながら日本人に合うように馴染むようにしてきたのかもしれません。
それを考えると、明治時代は一つ一つに特徴があるというよりも西洋の文化を日本人好みにアレンジした特徴的な文化が広まった、と言えるのではないでしょうか。