c The New York Public Library
明治時代には様々な偉人がいますが、成し遂げた偉業もさることながらそのルックスも実はかなりイケていたとされています。
では、幕末や明治時代にイケメンだった偉人にはどんな人がいるのか考えてみましょう。
よくよく見たら二枚目?幕末最後の将軍「徳川慶喜」
徳川慶喜は、明治時代以前の幕末に大政奉還を行うことで血を流すことなく改革を成功させ、結果的に明治維新を起きるきっかけを作った偉人の一人でもありますが、そのルックスをご存知の人も多いのではないでしょうか。
写真好きで自分の肖像を撮影していた慶喜の写真は良く残っているので、その写真を見た人も多いかと思われますが、100年以上経った今現在から見てもなかなかのイケメンだと思わないでしょうか。
生まれの気高さを表すようなその顔立ちや、いわゆる「けつあご」「割れあご」と呼ばれたルックスは欧米人にとってもセクシーに映ったとされています。
神として崇められた軍人「東郷平八郎」
薩摩藩出身で日露戦争において大活躍した偉人である東郷平八郎のイメージとしては、真っ白なひげをたくわえたダンディな印象をイメージする人も多いかもしれませんが、実は若い頃はなかなかの二枚目だったとされています。
薩摩藩の藩士であった彼は、薩英戦争や戊辰戦争にも参加後、明治維新後は海軍に入り、渡英して法律を学び、その後日露戦争において連合艦隊司令長官に任命され大活躍します。
渡英した頃に撮られた若かりし頃の写真は、彫りが深く鼻立ちも整っているだけでなく洋服に身を包み涼しげで優しそうな顔にひげをたくわえワイルドさを増した感じがまたイケメンです。
当時、世界最強と言われたロシアのバルチック艦隊を破ったことは有名です。
ロシアの圧政に苦しんでいたトルコやギリシャの人々はそのロシアを打ち破った東郷平八郎に感謝しており、子供に「トーゴー」という名前を付けるほど人気があったとされています。
明治時代の奇人の天才?「南方熊楠」
生物学者であり博物学者、民族や天文学、考古学など様々な分野の学問に長けていて「歩く百科事典」とも呼ばれていたとされる南方熊楠も、変わった経歴を持っているもののかなりのイケメンとされています。
ただ、生涯定職に就かず、学者としての収入が全くなかったので父が残した遺産と造り酒屋を営むことで生計を立てており、足りない分は弟に頼っていたようです。
その反面、語学力に長け、18か国語を操りながら14年間海外を放浪していました。
変わり者ではあったものの家族や多くの友人、よき理解者に恵まれ、特に粘菌への情熱は計り知れずキノコのスケッチを3500枚も残していたとされています。
鼻が高く、非常に目力が強いそのルックスは日本人離れしており、そんな目で見つめられたら女性は参ってしまいそうな感じですが変わり者であったことと女性よりも学問が第一だった彼の女性関係はそこまで濃くなかったのかもしれません。
39歳の時に医師である親友に紹介された女性と結婚し、40歳の時に長男、44歳の時に長女をもうけ、74歳の生涯を閉じています。