c The New York Public Library
日本の伝統的な国技でもある相撲は、実は明治時代からすでに執り行われていたことをご存知でしょうか。
明治時代の相撲はどんな感じだったのか、歴史を紐解いてみましょう。
相撲が始まったのはいつ頃くらい?
明治時代の相撲を知るには、まずいつ頃始まったのかを考えてみる必要があります。
そもそも相撲の起源は古代までさかのぼるとされており、古墳時代の出土品に相撲が描かれているものがあるので、すでにその時代から競技として行われていたことが推測できます。
古事記や日本書紀で登場する相撲がそもそもの起源と言われることもありましたが、この相撲はどちらかというと格闘技に近いものだったようで、今日の相撲の形に最も近く、そして古い起源は奈良時代の「総日本記」に記されているのが最も古いとされています。
現在のように土俵の上で競技するようになったのは戦国時代からとされており、それも織田信長の発案したと言われています。
多くの武将がそうであったのと同じく、織田信長も無類の相撲好きであったとされており安土城で相撲大会が開催されることもしばしばだったようです。
土俵だけに限らず、ルールや行司の制定なども事細かく決めて、現在の相撲の形にしたのも織田信長の功績のようです。
明治時代に相撲は存亡の危機にあった?それを救った明治天皇
江戸時代からずっと人気があった相撲ですが、明治時代に入るとそれから一変して相撲が存亡の危機に陥る事態となるのです。
なぜ、それまで日本で人気が高かった相撲が明治時代に入って存亡の危機に陥る事態となってしまったかという理由は、明治維新と文明開化に伴って制定された「裸禁止令」が大きく関係していました。
江戸時代までの日本は、庶民も肌を見せることにあまり違和感を持っておらず日常的なことだったのですが、明治時代に入ると西洋から軽蔑のまなざしで見られることを恐れた政府がこのように「裸禁止令」を出すことで庶民はもちろん、裸で相撲をすることを生業としている力士にまで義務付けようとしたのです。
東京で発令されたこの裸禁止令によって、東京の力士たちは鞭打ちや磔の刑に罰せられることもありました。
一度、「相撲禁止論」も出たのですが、それを食い止めたのが明治天皇だったとされています。
実は明治天皇も相撲好きであり、同じく相撲好きな伊藤博文と尽力を尽くし展覧相撲を開催したことで、相撲が日本の国技として認知されるようになり、結果的に存亡の危機を救うことになったのです。
つまり、そこで明治天皇が相撲好きでなければ今現在も相撲が日本の国技として認められないだけでなく、この世に存在しない競技となっていたのかもしれないと思うと、感慨深いですよね。
明治時代はやりたい放題?今の相撲よりも過激だった?
一昔前は八百長や薬物使用など、相撲界でも様々なことがあったとされていますが、それでも近代相撲は明治時代と比較すると品行方正と言えます。
本来、相撲はプロのスポーツですので判定が正しく行われ力士はそれに従うのが一般的です。
しかし、明治時代は力士が勝負の判定に納得がいかないとその場で胡坐をかいて土俵から降りないこともしばしばあったとされています。
それ以外にも、審判がえこひいきして師弟関係にある力士の判定を甘くしたり八百長は公然の秘密となっていたようです。
また、取り組み直前に飲酒する力士も多く、取組前にタニマチの桟敷に挨拶がてら一杯飲んでから土俵入りすることも珍しくなかったとされています。
これだけ比べても、現代の相撲と明治時代の相撲がどれだけ違うかは一目瞭然と言えるでしょう。