明治時代にもすでにピアスをしている人がいたってホント?

c The New York Public Library

現代人のお洒落として欠かせないピアスも、明治時代に流行していたことは知っていたでしょうか。

一見あまり関連のないように思う明治時代とピアスですが、どのように広まっていったのか考えてみましょう。

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日本でピアスが始まったのはいつ頃?

王族や貴族などが魔除けなどとしてつけていたピアスは、日本ではすでに縄文時代からあったとされています。

古墳時代には今と変わらず装飾品としてつけられており、奈良時代以前までは実際にピアスを装着していた記録が残っているようです。

奈良時代に移行になると一時期はピアス文化も廃れてしまうのですが、明治時代に入るとまたピアスを付ける人々が復活し増えてきたとされています。

洋服の流行とともに始まったピアス文化

明治時代に入ると、それまで着物を着るのが一般的だった日本人が欧米の影響を受けて洋装をするようになります。

アメリカなどでは、幼い子どもも当たり前にピアスをつける習慣があり中では出産してすぐにピアスホールが開けられて退院後にはすでにピアスを装着するのが当たり前になっている国もあり、日本もその影響を受けて洋服を着ることを楽しむ延長上にピアスがあったとされています。

日本で奈良時代以前のピアス文化が流行した大きな理由は、洋服を着るようになったことが挙げられます。

実際に、明治時代に使われていたとされる今と変わらない耳にかけるタイプの形状のピアスが現存しており、明治時代の人々も私たち現代人と変わらずにピアスを装着しておしゃれを楽しんでいたのではないかと思われます。

明治時代以降からピアス文化が廃れた理由は?

奈良時代以前から明治時代にまた流行が再燃したピアスですが、その後大正や昭和になるとまた廃れており、再びピアスが流行するようになったのは1990年代後半からとされています。

奈良時代以前から明治時代の間の1100年間の間もなぜピアス文化が定着せず、その後明治代以降もあまり流行する兆しを見せなかったのか気になるところではないでしょうか。

それは、古来よりある日本人の考え方が関係しているのかもしれません。

親にピアスを開けることを話したら、「親からもらった体を傷つけるなんて・・・」と怒られた経験を持つ人も多いのではないでしょうか。

実はこれには中国から伝わった儒教の教えが関係しており、その教えの一つに「親からもらった体を傷つけるのは良くない」という教えがあるのです。

そのため、体に穴を開け傷つける行為であるピアスは、せっかく親から五体満足でもらった体を傷つける行為に値することから「ピアスを開ける=良くない」という定義があったからこそあまり定着しなかったのではないかと思われます。

自分のコンプレックスを払拭するために整形をすることが当たり前の世の中になっている現代では、親にもらった体を傷つける行為を良くないと非難するよりも「自信をもって生きられる生き方」を提唱する傾向にあります。

だからこそ、おしゃれを楽しむ人々にとってピアスをすることは当たり前となり流行が続いているのかもしれませんが、それは本当に良いことなのか判断が難しいところと言えるでしょう。

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