明治時代の音楽の特徴は「なんでもあり」がモットー?

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© The New York Public Library, 2016

音楽はどの時代を通じても人々の文化や生活の中に根付ているものですが、明治時代の音楽の特徴とはどんなものだったのでしょうか。

文明開化を掲げた明治時代にはどんな音楽が流行して特徴があったのか、それについて考えてみましょう。

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日本ではそれぞれの独自の音楽が共存していた特徴的な時代だった?

現在はJ-POPを始め海外のミュージシャンによる洋楽、演歌、クラシックや雅楽、レゲエやヒップホップまで様々なジャンルの音楽があらゆる媒体で楽しむことができるとされていますが、そもそも西洋音楽が日本に入ってきたのは戦国時代だったとされています。

それ以外にも、日本の伝統音楽として尺八や三味線などを使用した楽器曲や小唄や長唄などの歌い物、語り物や民謡など数多くの音楽が存在しており、明治時代に西洋音楽が入ってきてもそれ以前の伝統音楽がすたれることなく同時進行で存在していたとされています。

特に、雅楽(起源は中国からですが)などの伝統音楽が現在においても残って存在している国というのは非常に珍しく、古い音楽がそのままの状態で現存しているのも日本の特徴として伝統文化を重んじる傾向があったからと言えます。

太平洋戦争後にアメリカの影響を受けて大幅に変化していくとされていますが、新しい文化を受け入れつつ日本古来の音楽も大切にするという考え方は日本ならではの傾向なのかもしれません。

クラシック音楽の始まりは軍楽隊?

織田信長の時代に一度入ってきた西洋音楽が鎖国などの影響を受けて一時的に閉ざされ、再びクラシック音楽が日本に公式に入ってきた時期というのは明治2年にイギリス陸軍から薩摩藩に対して軍楽隊の楽器を送られ吹奏楽の教えを受けたことがきっかけだったとされています。

明治4年には、教えを受けた彼らを母体に陸軍の軍楽隊が発足されたようです。

明治10年の西南戦争の際には本拠地鹿児島を制圧した後軍楽隊よりクラシックの演奏が送られ、戦地に赴く正平たちはそれを聴き奮い立ったとされているようですが実際に演奏されていたのはハイドンの「葬送行進曲」だったようで、演奏した軍楽隊は葬送行進曲だとわかって演奏していたのだとしたら縁起でもないと言えますが、どんな曲であるかわからなかったからこそその曲を演奏して将兵たちを勇気づけ送り出したかったのかもしれません。

ドイツ留学をした森鴎外などに「西洋音楽を代表する理想的な作曲家」として最初に伝えられた音楽家はワーグナーだったとされています。

ちなみに、日本で初めてレコードが普及したのが明治40年で、その後明治42年には国産化したレコードが製造・販売されたあと、現在ではあまり見かけることもなくなった円盤型のSPレコードも明治43年に発売されるようになります。

日本で初めての音楽学校が設立される

明治21年には、アメリカ留学で洋楽を学んだ井沢修二の勧めもあって文部省所属の音楽教育機関である音楽取調掛が設立されて後の東京芸術大学音楽学部となる東京音楽学校に発展したとされています。

学校の唱歌にも西洋音楽が取り入れられたリ、積極的に広めて西洋音楽の普及に努めたようです。

明治時代に有名な音楽家と言えば、「荒城の月」や「鳩ポッポ「などで有名な滝廉太郎ですが、彼は24歳という若さで亡くなったとされています。

しかし、明治時代の時点でその実力が海外にも認められた美術や絵画などに比べて遅く、「荒城の月」が世界に知られるようになったのは昭和に入ってからのようです。

明治の初期は、日本古来の邦楽に根付いていた庶民も徐々に西洋音楽に傾き、大多数の人が西洋音楽を楽しむようになり、日本人による西洋音楽の作曲なども増えてきたとされています。

音楽に限らず、明治時代の芸術は西洋文化の影響を色濃く受けたとされていますが、一方で現在の日本の音楽の特徴である流行歌や歌謡曲などのポピュラーな音楽も同時に作られていったとされています。

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