散切り頭や鍋焼きうどん・・・明治時代に流行したことはどんなこと?

明治時代k (21)© The New York Public Library, 2016

流行はその当時を知る上で大きな手掛かりとなるものですが、文明開化が進み、欧米諸国の様々な文化や思想が入ってきた明治時代にはどんなものが流行したのでしょうか。

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ちょんまげから散切り頭への流行

江戸時代まで多くの男性はちょんまげを結って過ごしていましたが、江戸幕府が倒壊し明治時代が始まると明治4年には「散髪脱刀令」というのが発令され、ちょんまげを落とすことを許可されたのです。

しかし、長年培ってきた風習を簡単にやめることは難しいことと、周囲の人がやらなければなかなか誰もやらなかったためにこの法令が浸透するには少し時間がかかったとされています。

全国各地に散髪店が増えると、新しもの好きな人たちは早速散髪に出かけ街中でも徐々に散切り頭が増えていくようになります。

実際に散切り頭が広く受け入れられるようになったのは明治6年に当時の天皇が散髪したことで自然と広まっていったとされており「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする」という流行歌も流行ったとされています。

未成年者が喫煙していた明治時代

現在は20歳未満では飲酒も喫煙も禁止されていますが、時々中高生が制服のままで喫煙している姿などを見かけると、タバコは粋がりたい年頃のアイテムの一つなのかもしれません。

明治時代に西洋の文化と一緒に入ってきたのは紙巻タバコであり、それまでキセルで吸うのが一般的だった日本においてその後紙巻きたばこの製造や販売が日本国内で始まったとされています。

明治時代の日本では、少年の間でタバコを吸うことが流行していたとされています。

当時は子供の喫煙を禁止する法律がなく、国内でも製造や販売が始められたことからだれでも自由に吸うことができたのですが、明治33年に「未成年者喫煙禁止法」が制定されるようになりようやく子供の喫煙が禁止となります。

鍋焼きうどんが大流行し女性のメイクや髪形にも変化が

風邪をひいて調子が悪い時や、受験勉強中の夜食などにお母さんが鍋焼きうどんを作ってくれたという家庭はあったと思われますが、明治時代の日本では鍋焼きうどんが流行したとされています。

明治時代といえば東京の屋台の「夜鷹そば」が有名でしたが、西南戦争の終わりごろになると東京の下町では夜鷹そばではなく鍋焼きうどんを食べる人が増えたとされています。

当時の新聞には、鍋焼きうどんが大流行したおかげで夜鷹そばを食べる人が減少したという記事が掲載されていたようです。

また、江戸時代の女性はお歯黒と眉そりをしていましたが日本に入ってきた外国人がその習慣を奇異の目で見るようになったことから現在と同じように白い歯にするようにお歯黒禁止令が出たとされています。

西洋文化が入ってきたことで日本はモダンな印象となりますが、それでもほとんどの人は着物で過ごしていたことから江戸時代風の島田髷や丸髷といったヘアスタイルをしている人も多かったのです。

日本髪は手入れが大変で不衛生・不経済であることから明治18年に日本髪を廃止して、三つ編みなどをベースに垂らして丸めて髷を作る「束髪」や、リボンを飾ってアップスタイルにする「マガレイト」などが流行したとされています。

ところが、明治27年頃になると日清戦争の影響により再び日本髪を支持されるようになりましたが、明治35年頃になると前髪を庇のように張り出して作る「庇髪」などが流行っていたとされています。

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