明治時代の写真の料金は高額商品だったって本当?

c The New York Public Library

結婚式や子供の七五三、最近ではマタニティフォトなど、様々なイベントの際に写真スタジオで写真を撮る人も増えてきていますが、明治時代にもすでに写真を撮る技術があったとされています。

今でもそこそこ高いとされている写真ですが、明治時代の写真の料金はどのくらいだったのでしょうか。

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写真史における重要人物、上野彦馬

日本で初めて写真が撮られるようになったのは横浜と長崎で写真館が誕生したことから始まります。

日本写真史にとって重要な人物である上野彦馬はすでに日本に入ってきていたダケレオタイプの写真だけでなく、その当時の最新技術であった湿式写真技術を独学で学んだ後に上野写真館を開業し、高杉晋作や坂本龍馬など様々な偉人の肖像を撮影したとされています。

当時の写真の料金は非常に高く、庶民にもようやく撮影できるような料金になったのは大正に入ってからだとされています。

また、料金が高いだけでなく写真を撮るのにも非常に時間がかかっていたのですが、上野が身に付けた湿式の撮影方法によって露出時間が20~30秒で済むようになります。

それまでの写真撮影であるダケレオタイプと言えば、露出時間に2分もかかったことから身動きやあくびはもちろん、瞬き一つできなかったとされていますので、上野が採用した写真の技術がいかに現在の日本の技術においても大きな影響を与えることになったかが理解できるでしょう。

明治時代は月に数枚撮影するだけで大変な稼ぎだった?写真の料金は?

明治時代は45年あり、その年によって物価が大きく変動する時代であったこともありますが、それを差し引いても写真の料金は非常に高かったとされています。

その料金としては江戸時代後期としては1分、今で言うところの6~8万円程度で、明治時代に入ると少し料金が下がって1~3万程度だったようです。

それでも、今の写真と比べてもかなり高額ですから特別な時にしかとらなかったようですが、現在も現存する跡見女学校などのお嬢様学校などでは写真を撮るのがブームとなっていたそうです。

特に明治時代後半ともなると、お金持ちの間では結婚式の際に記念写真を残すという行事も一般化してきます。

写真師たちにとっては非常に良い仕事であり、写真師によっては月に数十枚とれば弟子を雇って食わせていけるほどの十分な稼ぎが得られたようです。

現代では何着も衣装替えしても無料と謳ったシステムの写真スタジオが増えたことや、スマートフォンやデジカメなどで撮った画像を自宅で加工する人も増えてきたこともあり、いわゆる昔ながらの写真館は徐々に消えつつあるそうです。

明治時代から続く文化として、残ってほしいものですね。

お得意さんは坂本龍馬?写真が大好きだった偉人

写真は魂が抜かれるから撮らない、という人も多かった江戸末期や明治時代において、自分の写真を名刺代わりに配っていた変わり者の偉人がいたことをご存知でしょうか。

明治維新の立役者である坂本龍馬は、上野写真館で5回も撮影していた記録が残っており、その当時焼き増し代が1枚につき1万円ほどかかっていたのにもかかわらずそれを何枚も焼き増しして配るほどの写真好きだったとされています。

加えて、徳川最後の将軍である徳川慶喜も写真好きでお馴染みであり、竜馬と同じく5回も撮影していたという記録が残っています。

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