明治時代のお風呂事情はペリーも困惑した?

明治時代k (32)© The New York Public Library, 2016

一日の疲れを癒すのに欠かせないお風呂は、半身浴によるダイエットのためや入浴中にテレビやラジオを持ち込んで楽しむなど様々なスタイルで楽しむことができるとされています。

では、明治時代のお風呂事情はどんなものだったのでしょうか。

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ペリーも困惑!明治初期は混浴が当たり前?

明治以前の江戸時代から銭湯などで湯を楽しむ機会があったとされていたようですが、今とはかなり勝手が違っていたとされています。

一部の地方の旅館や温泉では男女混浴のところもありますが、現在の銭湯は男女別々であるのが一般的です。

しかし、明治初期の銭湯はしばらくの間男女混浴であったとされており、江戸時代に風紀が乱れるという理由から一時期混浴が禁止となりましたが明治維新後も混浴が続いていたとされています。

欧米とはあまりに違う当時の文化に黒船に乗ってやってきたペリーも困惑し、男女混浴がいかに特殊な文化であったのかを「ペリー艦隊日本遠征記」にその様子を記しているようです。

柘榴口から改良風呂へ

男女混浴が厳しく取り締まられるようになったのは明治中期になってからで、それに加えてそれまで柘榴口と呼ばれていた入り口をめ板で閉じて湯が逃げないようにした形式のお風呂を全面禁止します。

柘榴口は、中は薄暗く湯気で人がいるかどうかもわからないような状態だったことから、殺人や風紀を乱す人々が多かったのが理由です。

それに代わってできたのが「改良風呂」と呼ばれるもので浴槽と板流しを平面にして屋根に湯気抜きを作り洗い場も以前よりも広くなったとされています。

外国人に「世界で最も清潔」とまで言われた日本の風呂習慣

もちろん人にもよりますが、現在では入浴後には新しい下着や衣服に着替えるのが一般的ですが、明治時代当時は入浴前に着た着物を入浴後も着るのが当たり前でした。

それを見ていたお雇い外国人として活躍したイギリス人のB.H.チェンバレンは、現在のように入浴後は新しい衣服や下着に着替えるのが一般的なヨーロッパスタイルに対し、日本人は下層階級の人でも毎日お風呂に入って体をごしごし洗っているため、一見不潔なように見えて衣服の内側は清潔であることから、「日本の大衆は世界で最も清潔」と日本人を紹介しているとされています。

ちなみに、風呂敷は足利時代の大名が入浴する際にほかの大名と衣服を間違えないようにするために自分の家の家紋を染め抜いた布で衣服を包み、入浴後はその布の下で身づくろいをしたことから風呂敷という名前で呼ばれています。

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