明治時代における服装の特徴は和洋折衷が当たり前?

明治時代k (33)© The New York Public Library, 2016

現在でも様々な服装の特徴があり、テレビをつければモデルさんや芸能人が「これが今年の流行なんですよ~」と巡り巡って一昔前に流行った流行服を身に付けているのを見かけますが、明治時代においてはどんな服装が特徴だったのでしょうか。

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洋服を着るのは見栄を張る時だけ?

欧米諸国から様々な文化や思想、食べ物などが輸入されてきた明治時代は、服装においても洋装という新しい文化が入ってきた時代でもありますが、現在のように日常的に身に付けていたのかというと少し異なり、洋服を着るのは少しかしこまった場での正装のときのみだったとされています。

明治時代は洋服と言えば男性であれば礼服、女性はイブニングドレスなどのフォーマルな服装を指すのが特徴でありどんなお嬢様でも上流階級のご婦人でも日常に来ていたのは昔からの着物だったとされています。

庶民においては常に着物であり、大正時代においてモガやモボと呼ばれる人たちが洋服を好んできた時代を経て、関東大震災があった昭和初期頃になるまで一般的な服装は着物が主流とされていたようです。

着物は着物でも柄や素材が変化した明治時代

では、本当に服装においてはフォーマルな場での特別な装い以外に、全く欧米諸国の文化は取り入れられなかったのかというと少し異なります。

文明開化の影響によって様々な国の織物や素材が入ってくると、日本人はそれらを着物に取り入れ始め、明治時代に入る前までは綿織物を主流に作られていた着物が西洋風の模様や化学染料を使った染め物などで着物を作ったことから着物の色や柄が豪華で華やかになっていったとされています。

それは上流階級だけに限らず庶民の間でも受け入れられ、それまで簡素な色や素材の織物でできていた着物が、モスリンや金巾のような輸入織物を取り入れた和装ファッションへダイナミックに変化し浸透していくのです。

着物にショール?和洋折衷が当たり前?

着物にショールと言えば、ミンクのショールを羽織った初々しい成人女性を思い出す人を多いと思われますが、明治時代においては和と洋のアイテムが組み合わさった和洋折衷が特徴だったとされています。

特に、和洋折衷な服装を大胆になおかつ利便性を考えて取り入れたのが女学生たちです。

大学の卒業式などでもよく見かける女性の袴姿というのは、すでに明治4年の初期頃に存在しており、女学生の間で流行っていきます。

女学校では机と椅子という欧米化したスタイルで授業を行っていたとされており、その場合着物の服装だと裾が乱れる心配がありますが袴であれば裾を気にする心配もなく動きやすかったのです。

袴姿にブーツという、漫画や小説などに出てくるハイカラなイメージはこの時代から生まれたとされています。

また、明治32年頃には現在のお茶の水大学である女子高等師範学校は袴を制服に採用して、通称チャンピオンベルトと呼ばれる金属バックルのベルトを袴の上に着用するスタイルが義務付けられ、現在もお茶の水女子大学付属中学校の制服に残っているとされています。

やはり、どの時代も共通してお洒落や服装に敏感な若い女性たちがいち早く取り入れて流行をリードしていたのかもしれませんね。

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