明治時代は現代の生活の基盤ができた時代でもあった?

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© The New York Public Library, 2016

一昔前は三種の神器といえば白黒テレビに洗濯機、冷蔵庫でしたが、現代の働くママの三種の神器はロボット掃除機、食洗器、自動乾燥機付き洗濯機だそうです。

明治時代には冷蔵庫もロボット掃除機もなかったと思われますが、どんな生活を送っていたのでしょうか。

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日本で初めての憲法ができた明治時代

明治時代になり西洋の自由民権運動などの思想が入ってきたことによって徐々に議会を開こうという運動が高まり、明治22年には日本で初めての憲法が作られて翌年には第一回の帝国議会が開かれました。

もちろん、現在のような国民のための政治や憲法というよりも天皇の権力を誇示して強さを認めたものであり、天皇が指名した貴族院と衆議院に分かれて議会が開いていたようです。

民主的なものであるかどうかは別として、それまで幕府や将軍の考えで行ってきた政治が、憲法に基づき政治を行い国民の代表が国民の政治を相談して決めていくという今のスタイルができたのも明治時代の憲法の設立があったからであり、日本においては大きな一歩となったことは確かと言えるでしょう。

マッチやランプ、ちゃぶ台などで食卓が家族団らんの場に

住居はというと、西洋文化の影響によって西洋建築が増えてきた時期でもありましたが、庶民たちにとって住宅を西洋化するのには費用がたくさんかかったこともあり夢のまた夢であったとされています。

加えて、西洋の生活様式は日本人に馴染みにくく住みにくいこともあり、もっぱら日本家屋で過ごしていたとされています。

生活においては、便利なアイテムとしてランプやマッチが重宝されました。

その当時、火を起こすには火打石を使用していましたがマッチが普及したことで主婦の労力が軽減し、石油式ランプの登場によってそれまで行燈やろうそくを使っていた人々にとって非常に便利なものだったとされています。

最近では欧米と同じくテーブルと椅子で家族と食事を共にしている人がいる一方で、こたつなどの地べた族も顕在していますが、ちゃぶ台が普及したのも明治時代の生活からと言われているようです。

江戸時代から続く食卓風景と言えば、お膳を家族の人数分ごと並べて並行に座り食事をする銘々膳の作法が一般的でしたが、都市部の家庭においては丸くなった一つのお膳を家族で囲んで食事をする家族団らんの風景が見られるようになってきたとされています。

文化や音楽、スポーツなど現代の文化の基礎が確立

西洋文化の普及によって変化したのは人々の生活だけに限りません。

文学だけでなくあらゆる音楽や演劇、地学や化学といった学問など、幅広い分野において大きな影響を与え、新しい学問が開花されたのもまさに明治時代だとされています。

野球やテニスなどの今では普通に行っているスポーツが入ってきたのも明治時代であり、活動写真などの現在の映画などの楽しみも増えてきたとされています。

長い間鎖国を続けて世界に比べると100年ほどの開きがあった日本は、その遅れ取り戻そうとしてがむしゃらに西洋の文化を取り入れて吸収し独自にアレンジしていくことで時代の波に乗ろうとしたのかもしれません。

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