明治時代は写真撮影時間について

明治時代k (44)© The New York Public Library, 2016

現在ではデジカメはもちろん、ケータイやスマホでも簡単に写真撮影ができる当たり前の時代です。

コンパクトカメラで撮った写真をその場で確認できるようになったことも記憶に新しくかつ画期的でしたが、明治時代には写真を撮るのに多くの時間が必要だったとされているのは本当なのでしょうか。

スポンサーリンク
meiji-jidaiレクタングル大

写真の技術を発達させ広めたのは科学者?

カメラの技術が普及し写真館などが誕生したのは江戸時代だとされていますが、感光材料にアスファルトを使用して撮影していたそれ以前のカメラは撮影におよそ8時間もかかったとされていますがフランスのダゲールにより「ダゲレオタイプ」という技術が発表されて撮影時間は30分に縮んだとされています。

その後さらに改良されて2分までに短縮されたものの、2分間瞬きをせずに撮影されるのを待つというのは写真を撮られる方にとっては非常に酷なものでした。

それを最新式の湿式写真の技術を独自で学んで採用し、20~30秒という短い撮影時間に短縮したのが科学者でもあった上野彦馬です。

彼は幕末の科学者であるとともに日本で最初のカメラマンであり、ダゲレオタイプを輸入した人であり、この撮影技術を身に付けたことで幕末から明治時代にかけて様々な写真を世に残した、日本写真史には非常に重要な人物とされているのです。

庶民には不評?明治時代の写真撮影

現代でも年配の女性の中には「写真を撮ると魂が抜かれる」と言っている人を時々見かけますが、実はその迷信が生まれたのも明治時代の頃だったとされています。

文明開化でハイカラ好きなその当時の人々にとって写真を撮ることは興味の一環だと思いきや、実はあまり当初は人気がなかったとされています。

その理由として、庶民の手には届かないくらい高価であったということと、前述した「写真を撮ると魂が抜かれ寿命が縮まる」と本気で信じ怖がって写真を撮られることを拒否していた人が多かったとされています。

とはいえ、明治時代も後半になると徐々に写真撮影も人気を博し、現在の文京区に今でも存在する跡見女学校の近くには写真館がありその当時の女学生たちにとって出張写真を撮ることは流行の一つでもありました。

最近では少し下火になってきましたが、明治時代の女学生たちにとって写真を撮影することは現在の高校生たちがプリクラを取る感覚と同じだったというわけですね。

坂本龍馬は写真愛好家だった?

新しもの好きでハイカラな最新技術である写真の撮影を好んだのは薩長同盟の立役者でもある坂本龍馬です。

前述した通り、明治時代の写真は非常に高価な物で当時の写真撮影料は1枚撮影するのに現在の貨幣価値で6~8万円かかりさらに焼き増しに1万円かかったとされていたのに対し、坂本龍馬は上野写真館で5回も撮影を行いしかも名刺代わりにその写真を焼き増しして配っていたとされています。

同じく徳川最後の将軍である徳川慶喜も写真が好きだったのは有名な話ですが、竜馬はその当時非常に高価であった写真を慶喜に匹敵するくらいの回数行っていたようです。

スポンサーリンク
meiji-jidaiレクタングル大
meiji-jidaiレクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする