日本が明治時代に近代化に成功した理由とは?

明治時代k (39)© The New York Public Library, 2016

富国強兵や殖産興業をスローガンとして、明治維新の立役者たちが懸命に進めていった日本の近代化ですが、なぜ成功することができたのかにはいくつかの理由が考えられます。

ただ単に日本の国民が勤勉で実直だったからというだけで片付けるのには、難しいものがあるでしょう。

なぜ日本は明治時代においてアジアで初となる近代化に成功したのでしょうか。

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日本の近代化は偶然?幸運その1:なぜか大国は親切だった幸運

日本が明治維新を進めている中で、世界ではイギリス、フランス、プロイセン、オーストリア、ロシアを中心とした5大国が協調体制を維持する「ウィーン体制」が敷かれていたところでした。

そこへ、日本が明治維新に成功し近代化を目指してこれらの国を始めとする大国に技術やそれを教えてくれる技術者を派遣してもらうように頼みに行くのですが、極東の後進国であった日本などこれらの大国からすれば非常にちっぽけなもので、わざわざ手取り足取り教えるのは面倒と考えるか、極東のサルに自分たちの技術を教えるなどとんでもないと考える国もいたかもしれません。

しかし、そこは日本の国民性なのかフランスもイギリスも快く技術を供与し、日本を全面的にバックアップしてくれたのです。

現在は世界遺産の一つでもある富岡製紙工場も、フランスが経営や建設に携わってくれたおかげもあって成功することができたようです。

幸運その2:当時のプロイセンをお手本にした

多くの大国はいずれアジアへの影響力を拡大し国益を見据えた上で日本に対し様々な援助を行ったと言えることももちろんですが、多くの偶然が重なり海外の最先端の技術や思想、文化が導入され日本の近代化をスピディーに進めることができたのは、まさに偶然の幸運というしかないと言えるでしょう。

鉄血宰相でも知られる当時のプロイセンの首相であったビスマルクは、日本からの使節団と謁見をした際に快く受け入れてくれたとされています。

そして、小さな国であるプロイセンがフランスやイギリスなどの大国を相手に引けを取らず世界をリードしていたことから、日本も同じように近代化を進めて国を強化するのに非常に参考になるということで、政治や憲法制定などにおいてプロイセンを手本にしたことが多く、また明治時代当時のプロイセンと日本の国情が似ていたことから参考にしやすかったとも言われています。

幸運その3:日本人特有の国民性

当時の日本は明治時代において独力で近代化を図るのにはかなりの困難があったとされ、やはり大国の援助なしでは近代国家にすることはかなり時間がかかったとされています。

とはいうものの、中国やその他アジアの地域が植民地化されたにもかかわらず日本においては欧米列強に脅威にさらされながらもしっかりと援助してもらい近代化を進めることができたのは、実直で勤勉、そして温厚で従順である日本人の気質があってことなのかもしれません。

また、日本は18世紀の後半からすでにロシアなどの欧米列強に対する危機感を持っており、国防という概念があったとされていますが、その当時の中国や朝鮮は国民だけでなく支配階級においても現実認識ができずに危機感がなかったとされています。

幕末の頃の教養人においては世界レベルともされており、来日した外国人たちが「日本の蘭学者は全員オックスフォード大学で首席を取れる」とまで言わしめた程、その教養やレベルの高さに驚愕したとされています。

明治時代当時の日本人たちは、技術はなかったにしてもそれを学ぶ知恵と理念に溢れていたのかもしれません。

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