c The New York Public Library
ありとあらゆる西洋文化が入ってきた明治時代は、服装が多様化してきたために男性の服装についても大きな変化をもたらしたとされています。
では、明治時代において服装は男性にどのような変化をもたらしたのでしょうか。
変化その1:軍服
明治時代において服装の変化が大きかったのは、いわゆる公共の場での仕事をする人たち、役人や軍人の間からでした。
刀を差して袴をはき着物をまとっていたそれまでのスタイルから、西洋の礼装や正装スタイルに一変したことで動きやすくなり仕事をするにおいても効率が良いとされていました。
現在も、制服を着て仕事をする男性の服装は制服マニアの女性から熱い視線を受けているようです。
そして、服装に合わせて最も変わったのが髪型です。
江戸時代までの男性の髪型と言えばちょんまげが主流でしたが、軍服が洋装になったことからちょんまげを切り、ヘアスタイルを短髪にしたことが大きな変化と言えるでしょう。
特に、長かった髪を切る、という行為は子供から大人となる成人の儀式の一つでもあったことから、日本人の風習としても髪を切ることにおいてはしっくり来たのではないでしょうか。
変化その2:一般庶民の服装
漫画やアニメなどで描かれる憧れのコスプレとして、「書生スタイル」というものがあります。
書生とは、裕福な家などに居候しその家の家事や雑務をこなしながらその家主の援助を受けて学問を勉強する学生のことを指しますが、この書生のスタイルがいかにも明治時代の和洋折衷を表しているのです。
立て襟シャツを着物のインナーとして着こみ、頭にはハンチングや学生帽をかぶり時にはマントを羽織った姿は明治時代好きな女性には垂涎ものではないでしょうか。
着物を着なきゃいけない、あるいは洋装の方が良い、または無難な格好が良いなど余計な思念に囚われず、好きなものを好きなように好んできていた明治時代は服装においても自由奔放だったのかもしれません。
実際に書生スタイルが一般化するようになったのは夏目漱石の坊ちゃんの頃、明治28年頃だったとされています。
変化その3:婚礼衣装
結婚式と言えば人生にとって一世一代のイベントです。
実はそんな大切な時の服装も、明治時代に入ってから大きく変化したとされています。
明治30~40年代の婚礼の写真を見ると、女性は着物にブーケ、ベールをかぶった姿でこれまた特徴的ですが、男性においては完全に洋装になっているのです。
実は、そもそも日本において結婚式を行うという概念はなく、新郎の自宅で「道具入れ」「嫁入り」「祝言」の三つの儀式をすることで婚礼の儀としており、その日本の風習を知った欧米からは「結婚式もしない野蛮な国」として揶揄されてきました。
そこで、明治時代に入ってから神前式が取り入られるようになり同時に男性の洋装や女性のウェディングドレスも普及していったとされています。
神前式自体が明治時代から始まった新しい文化なわけですから、和装から急に洋装となったところで大きな変化ではないのかもしれません。