明治時代の文明開化の食べ物の特徴とは?

明治時代k (27)© The New York Public Library, 2016

明治時代は文明開化によって諸外国から様々な食べ物が輸入されてきた時代でもあります。

現在も普通に食べられている食べ物も、明治時代を機に輸入されたと言っても過言ではありませんが実際にはどのような食べ物が入ってきたのでしょうか。

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若者に好まれた文明開化ならではの食べ物とは

明治時代の代表とする食べ物と言えば、「牛鍋」です。

当時の明治天皇が初めて食されたことから日本中で広まり、日本独自の調理法によって現在で言うところのすき焼きに近い形に生まれ変わっていくとされています。

その他には、明治28年頃には銀座の「煉瓦亭」で初めてカツレツが誕生したり、カレーライスやハヤシライスなどの料理も好まれていたようです。

現在にも通じるところですが、新しい食べ物に最も早く飛びつき広めていくのはやはりその時代の若者だったそうで、都心部を中心に文明開化特有の食べ物が積極的に好まれたようですが、田舎から出てきた人などは大学に入って初めてオムライスを食べたという人もいたようです。

日本で初めて製造された洋菓子はビスケット?

明治開化の影響で洋菓子の製造技術やバターやミルクなどの洋菓子食材も導入されるようになり、初めは馴染むのに時間がかかったとされていますが徐々に輸入が増えるにつれて製造に興味を持つものも増え、初めて日本でビスケットが作られたのは明治8年の風月堂の米津松造氏作ったとされており、日本で初めて作られたお菓子だとされています。

その後明治中期ごろになるとビスケットの製造の機械化が始まり、洋菓子作りに新しい旋風を巻き起こしたのは森永 太一郎氏で、アメリカで成果技術を習得した後に明治32年に赤坂の溜池に森永西洋菓子製造所を設立、現在の森永ブランドを築いたとされています。

その成功に刺激を受け、明治製菓やグリコなど様々な製菓会社が設立されていきます。

日本の食べ物は栄養バランスに優れた万能食だった?

文明開化の影響により日本人が初めて目にするような珍しい食べ物を好んだ一方で、庶民の間では江戸時代からの古来の食べ物も普通に食べられていたようです。

むしろ、文明開化ならではの珍しい食べ物を食べられたのは上流社会の人間やちょっとした小金持ちなどで、普通の庶民は里芋飯や大根の三輪漬け、野菜の煮つけなどの質素な食生活を毎日食べながら日常生活を送っていたとされています。

人力車の車夫などは麦飯や魚の干物とつけものという質素な食生活で体を動かす仕事の人がそんなに質素な食事では力が出ないのではないかと小泉八雲の名で知られるラフカディオ・ハーンは心配したとされていますが、実際にこの食事内容は栄養バランスに優れたまさに理想的な食事だったとされています。

麦飯は炭水化物とビタミンやミネラルを含み魚の干物はたんぱく質とカルシウム、油脂が摂取でき乳酸菌と食物繊維を含む漬物など、質素ではあるけれど十分な栄養が取れていたとされています。

現在は世界中のありとあらゆるものが食べられるようになった半面、生活習慣病などによって自らの命を縮めている生活を送っていますが、健康の面で言えば現在と明治時代とどちらが良かったのかは難しいところと言えるでしょう。

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