明治時代における日本と中国との関係は?

明治時代k (40)© The New York Public Library, 2016

現在も友好関係は保ってはいるものの何かと中国とのトラブルは絶えないとされていますが、日本の観光産業においては中国は重要な相手国とも言えます。

明治時代の中国は清国という名前でしたが、どんな関係性だったのでしょうか。

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朝鮮を巡り中国と対立していた日本

アヘン戦争の敗北によって衰退していた清国ですが、朝鮮との関係をめぐり日本と対立するようになります。

明治27年頃、朝鮮の宗教団体である東学党が日本の進出を拒むためや減税を求めて行った東学党の乱が起こり、朝鮮政府は他の国々に内部鎮圧のための援軍を頼みますが日本はそれに反応します。

日本としては、お隣の国である朝鮮がロシアなどの列強に支配されることを考えたら領土拡大のためにも自国で管理下に置いて指導していくのが良いと考えたのですが、「朝鮮は自国の支配下にある」と主張したのが当時の中国であった清国です。

日本は、朝鮮を武力で開国させるなど朝鮮に影響力を強めていたのですがそのためにはどうしても清国が邪魔になるということで、明治時代当時においても中国である清国と日本は非常に折り合いが悪かったとされています。

日清戦争勃発!日本初の植民地を手に入れる

東学党の乱による鎮圧のための援助依頼は結局清国だけに届いたのですが、日本も事前に締結していた天津条約と朝鮮にある日本の公使館を守るという名目で朝鮮に兵を出し、東学党の乱は鎮圧したものの朝鮮に清国と日本の兵士がとどまっていたことを機に、以前より折り合いの悪かった清国と日本が対立し朝鮮半島を舞台にそのまま日清戦争へと発展していくのです。

日本兵24万人に対し清軍は約63万人で、一見不利だと思われがちでしたが日本は明治6年の徴兵令以降ドイツ式に改良した陸軍とイギリス式にとなった海軍によって軍事力を強化しただけでなく、開戦後に巨額の軍事費を議会で可決したこともあって8か月という短い期間で清国に勝利します。

日清戦争によって勝利した日本は清国と下関条約を締結して清国による朝鮮半島への影響力を排除して領土拡大や大陸進出への第一歩を踏み込むことになるのです。

この戦争の勝利によって日本は台湾を植民地として手に入れることができたとされています。

「アジア団結」から「脱亜入欧」へ

明治時代に入り、当初は朝鮮や中国である清国と同盟を結びアジア団結することによって欧米列強に対抗し、さらに自国の領土を守るためにもそれが良いという考えがあったのですが、朝鮮や清国は日本を小国として侮っていたばかりでなく時刻が欧米化の植民地になることに対しての危機感がなかったことから日本のアジア団結については全く協力的でなくむしろ馬鹿にしていた部分もあったとされています。

そのため明治政府はアジア団結をあきらめ、清国や朝鮮と団結するよりも自国だけで欧米列強に対等に肩を並べ継いでい領土拡大や自国の防衛を強化しようという考えにシフトしたことから、日清戦争は「脱亜入欧」がかかった一戦でもあったとされています。

朝鮮や中国の人は反日感情が強いですが、それは今に始まったことではなく、明治時代やその前からすでに日本を毛嫌いし敵視していたこともわかるでしょう。

しかし、もし、ここで中国である清国や朝鮮と同盟を結んでアジア団結をしていれば、アジアは現在において世界のトップに立っていたかもしれませんし、世界の歴史だけでなく中国と日本の関係も少し変わっていたのかもしれません。

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