© The New York Public Library, 2016
近年では小学校の教育カリキュラムにも英語教育を入れることとなり、英語教育はさらに私たちにとって身近で非常に重要なものとなってきています。
明治時代における英語教育はどのようなものだったのでしょうか。
英語教育を推進した初代文部大臣
日米和親条約が締結されて日本に様々な西洋の文化が入ってくると同時に、英語教育のための英語テキストや英字新聞が発行され、たくさんの英語の書物も日本語に訳されたとされています。
また、明治維新によって欧米諸国のやり方に学んで学校制度ができると、小学校においても英語教育が導入されます。
明治17年に「諸学校令」を公布した明治時代の初の文部大臣であった森有礼は、日本の教育制度を確立した人ではありますが一方で日本の欧米化を急速に進めようとした人物でもありました。
英語教育を推進し外国語を国語にするという国語外国語化論を唱えるなど、極端に欧米化を図ろうとした結果明治22年に国粋主義者にわき腹を刺されて暗殺されます。
森有礼が亡くなったことによって極端な英語教育の改革は縮小され、それまで小学校においても導入されていた英語教育は高等学校(現在の小学校高学年から中学校に該当する)に限定されるようになります。
英語教育のためのお雇い外国人は高額な報酬で雇用されていた?
学校での英語区教育を始めるにあたって、その指導者として招かれたのは諸外国からのお雇い外国人でした。
お雇い外国人とは、殖産興業を目的として技術や学問、制度などを輸入するための雇われた外国人のことであり、英語教育においても多くの外国人が雇用され日本に滞在したとされています。
明治政府が雇用したお雇い外国人の半数はイギリス人だったとされていますが、明治初期から明治30年代までに日本にお雇い外国人として雇用された2764人のアメリカ人の中には、1877年に札幌道農学校を去る時に「Boys,be ambitious」の名言を残し、日本の教育界やキリスト教界にも多大な影響を与えたとされるクラーク博士も雇われていたとされています。
そして、英語教育を始め様々な技術を学ぶために雇ったお雇い外国人の報酬は、明治時代においても桁外れだったとされています。
明治4年頃の太政大臣であった三条実美の当時の月俸が800円、右大臣岩倉具視が600円だったのに対し、お雇い外国人の最高月俸は1045円、明治23年頃の平均は180円だったとされています。
明治時代においても物価の変動が激しいため現在のお金の価値と比べるのは難しいですが、明治30年頃のおまわりさんや公務員の初任給が8~9円だったことと比べると非常に高かったことが考えられます。
まだまだ課題が多い英語教育
明治時代の近代化、欧米化に向けて小学校時代から推進されてきた英語教育も、日本語を重視した教育政策へと方向転換したことや戦争の影響によって中断されていき、2013年に再開するまで小学校においての英語教育は廃止されてしまいます。
現在の日本において、中学校から高校、大学においても英語教育が行われている一方で、日本の英語教育は文法と訳読が中心となり実際に生活に必要な会話やヒアリングといった部分はおろそかにされ日本の英語は受験英語と言われていることも確かです。
そして、何年間も勉強してきたはずの英語なのに、高校卒業時点で普通に話せる人というのは非常に稀だとされています。
小学校教育においてはどんな風なカリキュラムが組まれているのかにもよりますが、明治時代にすでに行われていた英語教育と現在の英語教育において果たしてどちらが役に立つのかは甚だ判断しがたいとも言えるでしょう。