© The New York Public Library, 2016
人が日々の暮らしを営むなかで生み出されるごみ処理は、その時代の技術水準や社会情勢に左右されながら、最適と思われる手法が徐々に変化しています。
昨今では、マイクロプラスチックごみによる海洋汚染が問題となり、先進国各国でのプラスチックごみの扱いがニュースなどで取り扱われているのを目にします。
江戸時代の日本では捨てるくらいならと、紙や古着などの多くはリユースされた一方で、生ごみなどは空き地や川などに捨てられ、水路の利用の妨げとなりごみの埋立地が設けられています。
では、急速に近代化を進めた明治時代のゴミ処理はどうだったのでしょうか?
明治時代に「ゴミ処理」のルールはあったのか?法律は?
明治時代の初め頃の「ゴミ処理」は、基本的には江戸時代とそれほど違いはありませんでした。
しかしながら、徐々に進む工業化と共に豊かさを増す人々の生活が、従来の「ゴミ処理」ではなく焼却処理を行うべきとする方針が政府により示されます。
この方針は、公衆衛生の一環として、日本最初の廃棄物に関する法律として「汚物掃除法」が交付、制定されています。
「汚物掃除法」には、ゴミとし尿の処理を地方行政の事務とするルールが示され、焼却処理を基本とされたため、焼却場の建設も計画されています。
明治時代の「ゴミ処理」の実態が江戸時代と大差なかったワケは?
明治時代の一般的な「ゴミ処理」は埋め立てしていたため、政府による法律がいきなり決められたといっても、反対する人が多かったのが実情だったようです。
焼却処理するにも、対応可能な焼却場は少なく、建設反対する運動によって整備もなかなか進まなかったのです。
そのため、養豚や野焼きによる残飯処理のごみ処理方法が長く続き、実情は江戸時代とそれほどの違いはなかったようです。
明治時代には、今ほど大量のゴミが排出されていたわけでなかったため、それほど問題とならずにやり過ごされたと思われます。
明治時代の「ゴミ処理」は江戸時代のまま?
明治時代に急速に進んだ近代国家化の歪みは、公衆衛生の向上を図ろうとする政府と庶民の間にも垣間見得ます。
「ゴミ処理」を埋め立てから焼却処理に変更しようとする「汚物掃除法」は、必要な焼却場の不足や当時のゴミ排出量がそれほど多くなく、切迫した必要性に迫られなかったために
江戸時代とほとんど変化しなかったと思われます。
現代社会でゴミの分別収集が定着するまで、ある程度の期間を要した状況と類似しています。
「ゴミ処理」には、その時代ごとの技術水準と社会情勢が色濃く反映されているようです。